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大阪の占い師 サワツ純子 のタロットブログです。たまに理屈っぽい日常のああだこうだも入っています。
長文OK・お暇な方のみお読み下さいませ。(・∀・)サワツ純子
※各ブログ記事へのインデックスを作ってみました。良ければご利用ください※
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興味のある方はどうぞお越しくださいませ。
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今回は色の考察【黒色】の第7回、背景が黒いもの(1-6)です。
黒色部分の解釈を暫定的に以下のように定義しておきます。
カードの画像データは、U.S.GAMES SYSTEMS,INC から出版されているライダー版ウエイトタロットです。
『世界シンボル事典』を参考図書として用います。
分類やコメントはあくまでもわたしの主観に基づいています。タロット作者の意図やカバラの教義に基づいた正しい解釈を目指しているのではなく、個人の自然な感覚と発想に頼って考察してみようとする試みです。ご了承の上、お読み下さい。
*-*-*-*-*-*-*
(1)背景が黒いもの…
【16・塔】【15・悪魔】
【剣10】【金貨5】【剣9】【金貨3】
*-*-*-*-*-*-*
【金貨3】
◆極端さ、甚だしさ、絶対性、世俗的でない…
【金貨3】では一見、極端さ、甚だしさ、絶対性…というようなイメージは見当たりません。社会の違った階層・職業の人が3人集まって何か話していて、むしろ世俗的な雰囲気すらします。
ただ、この絵の背景は教会だと言われていますので、神…絶対的な存在・聖なるもの(世俗的でない)が関わっていると言えるでしょう。
教会の建物自体は灰色です。そして教会建物の内部が真っ黒です。職人が台に上って作業をしている入り口付近だけが、やや明るくなっています。
これらをそのまま解釈すれば、一見、非常に世俗的に見えるものの内部に、絶対性や聖なるものが色濃く含まれている…等と言い表せると思います。
この示唆はとても興味深いです。個人的にはフリーメイソンリーなども連想してしまいます。
◆闇、悲しみ、光がない、試練、停滞(が、後に神がやってくる)…
この札の黒い闇の中に、悲しみ、停滞などのイメージは、個人的に感じ取れません。
でも試練、光がない(が、後に神がやってくる)、という言葉には通ずるものを感じます。
この教会の中の闇には、神に出会うための試練が含まれているでしょう。教会の中の闇にあっては真摯な信仰が、外の世俗世界にあっては社会的な価値を生み出す活動が、奨励されているのでは…と思います。
《内的な信仰》と《社会的な活動》が、神に出会うための過程と言えるのではないでしょうか。
◆悪魔の支配下にある…
教会の内部にある漆黒の闇が、神ではなく悪魔の支配下にあるというのでしょうか?
実は神を称える僧侶も、神を慕う信者も等しく、未だ神を見出せていない(=悪魔の支配下にある)のかも知れません。
教会の中に入るということは、《神に出会うための闇》に入る…ということではないでしょうか。
◆進化に必要な過程…
安穏な日常を送っている平凡な人はどのように神に出会うのでしょう。
平和で何一つ不自由のない人には、進化する必要性はないと思われます。
そんな平凡な日常の中に突然、不安や危機が訪れたとき、はじめて人は神にすがるのではないでしょうか。その時その人は、習慣だから教会に行くのではなく、心から救いを求めて教会に足を運び、真摯な、必死な思いで神との対話を求めるでしょう。
人は闇に出会わなければ真に神と出会うことはない、ひとり孤独に闇に入ってこそ神に出会う…光を得る…進化することが可能になるのだと思います。
日常的な、世俗的な光景の奥に、神との出会いの入り口がこんなにもさりげなくぽっかり口をあけている…そんな印象を受けます。
◆第3のセフィラ「ビナー(理解)」と対応している…
もちろん、この闇は、大いなるものを受容し、理解する契機として存在していると言えるでしょう。
*-*-*-*-*-*-*
この札には苦手意識を持っていました。
わたしにとってはこの札は、いつまでたっても《ピンと来ない》札なのでした。なにやら建設的なプランがありそうだったり、レベルアップが見込めそうだったり、お仕事が充実してそうだったりするのですが、お客様の知りたいことに照準を合わせると「そのことに意味があるのかなぁ…?」などと思えてしまって、なかなかリーディングにうまく盛り込めないという体たらく。
この札単体では、何かの成就を強く約束する、という確信も持てないため、ごにょごにょと歯切れの悪い言葉を繰り出すことが多かったのです。
でも今回、教会の奥の暗闇に照準を当ててみると、この札に含まれている「言葉になりにくい意味」を感じ取れたような気がします。
現実に表れてくる《兆し》には、目覚しいものはないかも知れない。まだ何も約束はできない。
でもその《普通さ》のすぐ側に、分かりにくい、《神秘的な機会》が大きな口をあけて待っているのだと思うと、俄然エキサイティングな気持ちになってきます。
神に対する時と同じような真摯さで《ことに当たる》こと、自分とは違う価値観や職能を持つ人と協力し、受け容れること、停滞や困難に負けず光を求めること…これらの営みが《願いを叶え、進化をもたらす》のだと思います。
*-*-*-*-*-*-*
これで、背景が黒いもの、の考察が一通り終わりました。
次回から少し細かく見て行きますが、今、カードを分類しようとすると、ものすごく大変なことが分かりました(^_^;;
途中で収拾がつかなくなること必至ですが、混乱しながらも何とか頑張ってみようと思います。
おそらく休み休みになるとは思いますが、今後とも当ブログをよろしくお願いします。
黒色部分の解釈を暫定的に以下のように定義しておきます。
・第3のセフィラ「ビナー(理解)」と対応している(ウィキペディア・生命の樹の記事より)
・極端さ、甚だしさ、絶対性、神と関連 世俗的でない
・闇、悲しみ、光がない、試練、停滞(が、後に神がやってくる)
・悪魔の支配下にある
・進化に必要な過程
・極端さ、甚だしさ、絶対性、
・闇、悲しみ、光がない、試練、停滞(が、後に神がやってくる)
・悪魔の支配下にある
・進化に必要な過程
カードの画像データは、U.S.GAMES SYSTEMS,INC から出版されているライダー版ウエイトタロットです。
『世界シンボル事典』を参考図書として用います。
分類やコメントはあくまでもわたしの主観に基づいています。タロット作者の意図やカバラの教義に基づいた正しい解釈を目指しているのではなく、個人の自然な感覚と発想に頼って考察してみようとする試みです。ご了承の上、お読み下さい。
*-*-*-*-*-*-*
(1)背景が黒いもの…
【16・塔】【15・悪魔】
【剣10】【金貨5】【剣9】【金貨3】
*-*-*-*-*-*-*
【金貨3】
◆極端さ、甚だしさ、絶対性、世俗的でない…
【金貨3】では一見、極端さ、甚だしさ、絶対性…というようなイメージは見当たりません。社会の違った階層・職業の人が3人集まって何か話していて、むしろ世俗的な雰囲気すらします。
ただ、この絵の背景は教会だと言われていますので、神…絶対的な存在・聖なるもの(世俗的でない)が関わっていると言えるでしょう。
教会の建物自体は灰色です。そして教会建物の内部が真っ黒です。職人が台に上って作業をしている入り口付近だけが、やや明るくなっています。
これらをそのまま解釈すれば、一見、非常に世俗的に見えるものの内部に、絶対性や聖なるものが色濃く含まれている…等と言い表せると思います。
この示唆はとても興味深いです。個人的にはフリーメイソンリーなども連想してしまいます。
◆闇、悲しみ、光がない、試練、停滞(が、後に神がやってくる)…
この札の黒い闇の中に、悲しみ、停滞などのイメージは、個人的に感じ取れません。
でも試練、光がない(が、後に神がやってくる)、という言葉には通ずるものを感じます。
この教会の中の闇には、神に出会うための試練が含まれているでしょう。教会の中の闇にあっては真摯な信仰が、外の世俗世界にあっては社会的な価値を生み出す活動が、奨励されているのでは…と思います。
《内的な信仰》と《社会的な活動》が、神に出会うための過程と言えるのではないでしょうか。
◆悪魔の支配下にある…
教会の内部にある漆黒の闇が、神ではなく悪魔の支配下にあるというのでしょうか?
実は神を称える僧侶も、神を慕う信者も等しく、未だ神を見出せていない(=悪魔の支配下にある)のかも知れません。
教会の中に入るということは、《神に出会うための闇》に入る…ということではないでしょうか。
◆進化に必要な過程…
安穏な日常を送っている平凡な人はどのように神に出会うのでしょう。
平和で何一つ不自由のない人には、進化する必要性はないと思われます。
そんな平凡な日常の中に突然、不安や危機が訪れたとき、はじめて人は神にすがるのではないでしょうか。その時その人は、習慣だから教会に行くのではなく、心から救いを求めて教会に足を運び、真摯な、必死な思いで神との対話を求めるでしょう。
人は闇に出会わなければ真に神と出会うことはない、ひとり孤独に闇に入ってこそ神に出会う…光を得る…進化することが可能になるのだと思います。
日常的な、世俗的な光景の奥に、神との出会いの入り口がこんなにもさりげなくぽっかり口をあけている…そんな印象を受けます。
◆第3のセフィラ「ビナー(理解)」と対応している…
もちろん、この闇は、大いなるものを受容し、理解する契機として存在していると言えるでしょう。
*-*-*-*-*-*-*
この札には苦手意識を持っていました。
わたしにとってはこの札は、いつまでたっても《ピンと来ない》札なのでした。なにやら建設的なプランがありそうだったり、レベルアップが見込めそうだったり、お仕事が充実してそうだったりするのですが、お客様の知りたいことに照準を合わせると「そのことに意味があるのかなぁ…?」などと思えてしまって、なかなかリーディングにうまく盛り込めないという体たらく。
この札単体では、何かの成就を強く約束する、という確信も持てないため、ごにょごにょと歯切れの悪い言葉を繰り出すことが多かったのです。
でも今回、教会の奥の暗闇に照準を当ててみると、この札に含まれている「言葉になりにくい意味」を感じ取れたような気がします。
現実に表れてくる《兆し》には、目覚しいものはないかも知れない。まだ何も約束はできない。
でもその《普通さ》のすぐ側に、分かりにくい、《神秘的な機会》が大きな口をあけて待っているのだと思うと、俄然エキサイティングな気持ちになってきます。
神に対する時と同じような真摯さで《ことに当たる》こと、自分とは違う価値観や職能を持つ人と協力し、受け容れること、停滞や困難に負けず光を求めること…これらの営みが《願いを叶え、進化をもたらす》のだと思います。
*-*-*-*-*-*-*
これで、背景が黒いもの、の考察が一通り終わりました。
次回から少し細かく見て行きますが、今、カードを分類しようとすると、ものすごく大変なことが分かりました(^_^;;
途中で収拾がつかなくなること必至ですが、混乱しながらも何とか頑張ってみようと思います。
おそらく休み休みになるとは思いますが、今後とも当ブログをよろしくお願いします。
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