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大阪の占い師 サワツ純子 のタロットブログです。たまに理屈っぽい日常のああだこうだも入っています。
長文OK・お暇な方のみお読み下さいませ。(・∀・)サワツ純子
※各ブログ記事へのインデックスを作ってみました。良ければご利用ください※
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興味のある方はどうぞお越しくださいませ。
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今回は、4枚の“5”のカードです。
*-*-*-*-*-*-*
【棒5】もっと広い世界でたくさんの競争者と力を比べる。勝ち残り競争。
【聖杯5】失望。失敗。心が過失にとらわれる。
【剣5】恨みや憎しみ。軽率な攻撃。
【金貨5】貧しくなる、持っているものを失う、祈るばかりの状況。
*-*-*-*-*-*-*
4は『安定』のカードでした。
それに対し5では『安定が崩れ』ます。
4の安定と、5での安定の崩れを語ろうとする時、どうしても6の『美』を語らざるを得なくなります。わたしはタロットにおける数字のイメージを次のように捉えています。
4…「安定した」バランス(安定、固定、不動)
5…バランスを崩す (安定が崩れる)
6…「美しい」バランス (美)
カバラ教義の生命の樹(セフィロトの樹)と照らし合わせても『6』のセフィラは“テファレト”…『美』と訳されています。
『5』は『4-安定』と『6-美』の途上にある数字…これがわたしの『5』の解釈の基本のひとつです。つまり『5』は『4の安定を脱し』て、『6の美へ向かう』途上なのだという考え方です。とても不安定だけれども可能性に満ち、しかし不恰好なのが『5』のカードだと考えられます。
*-*-*-*-*-*-*
さらに、もっと意味のある見方として『5』は人間の数字である、と解釈しています。
『4』は四大元素、火・水・風・地を、『5』は人間を、表わす数であると解釈することが出来ます。タロットの象徴画では、五芒星は人間そのものを表わすと言われています。『☆』型は人間の頭と両手、両足を広げた形によく似ていますし、人間の手や足には指が5本ずつあります
ヒトデやウニなど、原始的な生物である棘皮動物は五方向に放射状に伸びる体細胞の組み合わせを基本としていますし、植物の枝や葉のつき方も根-枝-先端と五端を連想させます。このように拡大的に解釈すれば、4までは無機物の数、5は生命の数と言うこともできそうです。
また五角形や『☆』型は、同じ形のものを整然と組み合わせて図形をつくるのが難しいです。四角形をたくさん組み合わせればマス目のようになりますし、六角形ならば蜂の巣のような形に上手くならびます。しかし五角形はそうは行きません。「組み合わせる際のバランスの悪さ」が目立ちます。
しかしそれは裏を返せば、ひとつの形として個性が際立っているとも言えます。同じ形を整然と並べるやり方では五角形や☆型の良さは活かせません…このような観点からも『5』は『ひとつひとつ個性を持った生命』を表わす数字として相応しいのではないでしょうか。
*-*-*-*-*-*-*
・安定を脱し、美を目指す途上
・可能性に満ちているが不恰好
・五芒星、人間(生物)の数字
・組み合わせる際のバランスの悪さ
・ひとつひとつの個性が際立つ
以上のような『5』のキーワードを各スートに当てはめながら各カードを見てみたいと思います。
■棒5
ここでは5人の人が各自、自分の棒を持って争っています。各人入り乱れていますが殺気立った雰囲気は感じられません。
この5人の人たちは、それぞれ自分の意見や主張や立場を押し通そうと争っています。別に殺し合いをしているわけではなく、優れたものが勝ち残るという自然の法則に従って競い合っているのです。
棒は生命力を表わします。強くたくましく生きようとする命を表わす棒・火と、人間・生物そのものを表わす『5』はとても相性が良いといえます。
生きいきとした命を輝かせるのに“安定”した環境は向きません。不恰好でも可能性を活かすべく競うのが生命にとって重要です。それぞれの個性と長所・短所を持って競い合ってこそ、より強い勝者が得られるのです。【棒5】では、争っている人間は大変でしょうが、棒・火・生命そのものは『5』を喜んでいると言って良いでしょう。
■聖杯5
ここでは5つの杯のうち倒れた3つを悲しんでうなだれている人が描かれています。
3つの杯は倒れて流れてしまいましたがあとの2つはまだ無事です。しかしこの人は3つもの杯が倒れてしまったショックに気をとられています。今までの苦労やこれからの道のりを考えると、このショックも無理はないのかも知れませんが、無事だった2つの杯を大事にすることに気づくことが必要なようです。
聖杯は心や感情、楽しみやよろこびを表わします。水には本来、安定した形はありません。しかし“人間の”(=『5』)心は安定を求め、美を求めます。安定も美も両方損なわれた状態を“人間の”心・感情は悲しむでしょう。
ただ、安定していないこと・美しくないことがまったくダメなのかというとそうではありません。失望や悲しみも心であることには違いないのです。聖杯・水・感情は、まったく何も動きがないよりは、たとえそれが悲しみであっても波立つことを喜びます。【聖杯5】で杯の3つが倒れ2つが残っているのは、水の本来の性質と“人間の”心の性質が相反することの表れでしょう。
■剣5
ここでは戦って敵の剣を手に入れた若者の姿が描かれています。空を流れる雲は強い風が吹いていることを思わせます。不穏な空気があり、うなだれて去っていく人と勝ち誇ったような若者の横顔が印象的です。これは棒5のような生命の輝きにあふれた競い合いとは違います。自分も傷つき、相手も傷つけずにはおかない、容赦ない過酷な戦いがあったのでしょう。
剣は思考の働きを表わします。合理的な思考はそもそもが『人間的な』ものです。剣は人間によって振るわれるべきものです。【剣5】では、思考が人間によって切れ味よく振るわれることを喜んだでしょう。振るわれた思考はそれぞれの個性を主張し、形をそろえて調和することを拒否したでしょう。そこにはもちろん安定や美はありません。惨めな勝利と惨めな敗北があるばかりです。喜んでいるのは剣・風・思考ばかりで人間は得をしていません。
■金貨5
ここでは教会の窓の前を貧しい裸足の女性やびっこの物乞いらが通りかかっています。冷たい雪が積もり凍える中、日々の糧を得ようにもその術もありません。彼らは物質的な貧しさに心まで冒され信仰心を失いそうになっています。教会のドアを叩けば雪を避け、一時のやすらぎを得ることも出来るのですが…
金貨は物質・お金・成果やステータスを表わします。これらは『人間』が社会生活をおくる上で必要なものです。
金貨は循環することを好みますが、お金それ自体が安定化した物質です。また『お金に名前は書いていない』と俗に言いますが、お金には個性はなく、たくさん集まって色々な用途に使うことが出来ます。ところが【金貨5】ではモノ・お金が安定せず、失われています。
“人”は美しく生きること叶わず、みすぼらしく惨めです。『不幸の形は千差万別』などとも言いますが、これら貧しく病んだ人たちがいくらたくさん集まっても何一つ有用なことは成しえそうにありません。貧しさの中で人は人としての欲望や恐怖をむき出しにしてしまいます。
しかしこの貧しさの中で“人間”の人間らしいもうひとつの側面…神への信仰がクローズアップされてきます。信仰の美しさを取り戻すことができれば、貧しさや病の不幸から抜け出す第一歩を踏むことが出来るでしょう。
*-*-*-*-*-*-*
わたしは『小アルカナの5は凶札』という考え方に気を取られている期間がずいぶん長くありました。【棒5】は意見の対立で混乱した現場、【聖杯5】は期待はずれでがっかり、【剣5】は憎しみ、恨み、容赦ない攻撃、人を陥れる、【金貨5】は貧乏クジを引く、貧困に陥る、などなど…このような“しんどい”カードが大事な場所に出たりすると読むのが嫌で嫌で『5』のカードなんて無ければいいのに、などと忌み嫌っていました。
しかしある時からふと、『5』の凶意の影に隠れて、人間存在のたくましさ、複雑さがチラチラと見え隠れしはじめ、やがてそこに深い学びの種があることを発見し、今ではついに、積極的に歓迎こそしないものの、無闇に嫌うことはなくなりました。
わたしは特に【金貨5】と【剣5】が大嫌いでした。どちらのカードにも救いがないと感じられていたのです。貧困や病なんて本当におぞましいですし、果てのない論戦や恨み・遺恨なんて神経を病み心を傷つけるだけです。
しかしわたしはある時、実際に【金貨5】や【剣5】の状態にどっぷりと浸かる経験をすることとなりました。自分でカードを切ってみてもやはり両カードが頻繁に出てきます。経済状態も精神状態もひどいものでした。これらのカードを見るたび憂鬱になり、むしゃくしゃして絶望的になったものです。
煮詰まって煮詰まって、お金もなく暇を持て余し、こんなことなら遁走してどこかお寺に篭って修行でもしたいものだわ、と考えた時、見慣れた【金貨5】のカードの、教会の窓が思い出されたのです。
それは本当に何度も何度も見たカードでした。この教会の窓の意味も知っていたはずなのに、それが本当に心の中でどんな意味を持ちうるのか、一体、実際にはどんな風に映るのかを今まできちんと想像したことがなかったのです。
その時の感情を文字にするのはとても難しいです。おそらくそれを言葉で伝えるのは不可能だろうと思います。わたしは【金貨5】の洞察で得た気づきによって実際に【金貨5】の状態から脱出できましたし、同じように忌み嫌っていた【剣5】からも同様に気づきを得て脱出することが出来ました。
結論だけをとてもシンプルに言えば『5』から『6』に抜ければ良い、というだけの話なのです。しかしどうすれば『5』から『6』に抜けられるのか、ということが問題なのであって、それは各人が自分の頭とハートと情熱でそれをやりぬくしかありません。たぶん『錬金術』とか『西洋儀式魔術』というのはそこのところのノウハウを教えてくれるものなのかなと思います。
『5』はとても厳しい状況を示すと同時に、もっとも力強い教えを含んでいるカードです。大好き、とはとても言えないけれど、人生の困難に立ち向かう秘密を教えてくれる、厳しく頼もしい先生と言えると思います。
*-*-*-*-*-*-*
【棒5】もっと広い世界でたくさんの競争者と力を比べる。勝ち残り競争。
【聖杯5】失望。失敗。心が過失にとらわれる。
【剣5】恨みや憎しみ。軽率な攻撃。
【金貨5】貧しくなる、持っているものを失う、祈るばかりの状況。
*-*-*-*-*-*-*
4は『安定』のカードでした。
それに対し5では『安定が崩れ』ます。
4の安定と、5での安定の崩れを語ろうとする時、どうしても6の『美』を語らざるを得なくなります。わたしはタロットにおける数字のイメージを次のように捉えています。
4…「安定した」バランス(安定、固定、不動)
5…バランスを崩す (安定が崩れる)
6…「美しい」バランス (美)
カバラ教義の生命の樹(セフィロトの樹)と照らし合わせても『6』のセフィラは“テファレト”…『美』と訳されています。
『5』は『4-安定』と『6-美』の途上にある数字…これがわたしの『5』の解釈の基本のひとつです。つまり『5』は『4の安定を脱し』て、『6の美へ向かう』途上なのだという考え方です。とても不安定だけれども可能性に満ち、しかし不恰好なのが『5』のカードだと考えられます。
*-*-*-*-*-*-*
さらに、もっと意味のある見方として『5』は人間の数字である、と解釈しています。
『4』は四大元素、火・水・風・地を、『5』は人間を、表わす数であると解釈することが出来ます。タロットの象徴画では、五芒星は人間そのものを表わすと言われています。『☆』型は人間の頭と両手、両足を広げた形によく似ていますし、人間の手や足には指が5本ずつあります
ヒトデやウニなど、原始的な生物である棘皮動物は五方向に放射状に伸びる体細胞の組み合わせを基本としていますし、植物の枝や葉のつき方も根-枝-先端と五端を連想させます。このように拡大的に解釈すれば、4までは無機物の数、5は生命の数と言うこともできそうです。
また五角形や『☆』型は、同じ形のものを整然と組み合わせて図形をつくるのが難しいです。四角形をたくさん組み合わせればマス目のようになりますし、六角形ならば蜂の巣のような形に上手くならびます。しかし五角形はそうは行きません。「組み合わせる際のバランスの悪さ」が目立ちます。
しかしそれは裏を返せば、ひとつの形として個性が際立っているとも言えます。同じ形を整然と並べるやり方では五角形や☆型の良さは活かせません…このような観点からも『5』は『ひとつひとつ個性を持った生命』を表わす数字として相応しいのではないでしょうか。
*-*-*-*-*-*-*
・安定を脱し、美を目指す途上
・可能性に満ちているが不恰好
・五芒星、人間(生物)の数字
・組み合わせる際のバランスの悪さ
・ひとつひとつの個性が際立つ
以上のような『5』のキーワードを各スートに当てはめながら各カードを見てみたいと思います。
■棒5
ここでは5人の人が各自、自分の棒を持って争っています。各人入り乱れていますが殺気立った雰囲気は感じられません。
この5人の人たちは、それぞれ自分の意見や主張や立場を押し通そうと争っています。別に殺し合いをしているわけではなく、優れたものが勝ち残るという自然の法則に従って競い合っているのです。
棒は生命力を表わします。強くたくましく生きようとする命を表わす棒・火と、人間・生物そのものを表わす『5』はとても相性が良いといえます。
生きいきとした命を輝かせるのに“安定”した環境は向きません。不恰好でも可能性を活かすべく競うのが生命にとって重要です。それぞれの個性と長所・短所を持って競い合ってこそ、より強い勝者が得られるのです。【棒5】では、争っている人間は大変でしょうが、棒・火・生命そのものは『5』を喜んでいると言って良いでしょう。
■聖杯5
ここでは5つの杯のうち倒れた3つを悲しんでうなだれている人が描かれています。
3つの杯は倒れて流れてしまいましたがあとの2つはまだ無事です。しかしこの人は3つもの杯が倒れてしまったショックに気をとられています。今までの苦労やこれからの道のりを考えると、このショックも無理はないのかも知れませんが、無事だった2つの杯を大事にすることに気づくことが必要なようです。
聖杯は心や感情、楽しみやよろこびを表わします。水には本来、安定した形はありません。しかし“人間の”(=『5』)心は安定を求め、美を求めます。安定も美も両方損なわれた状態を“人間の”心・感情は悲しむでしょう。
ただ、安定していないこと・美しくないことがまったくダメなのかというとそうではありません。失望や悲しみも心であることには違いないのです。聖杯・水・感情は、まったく何も動きがないよりは、たとえそれが悲しみであっても波立つことを喜びます。【聖杯5】で杯の3つが倒れ2つが残っているのは、水の本来の性質と“人間の”心の性質が相反することの表れでしょう。
■剣5
ここでは戦って敵の剣を手に入れた若者の姿が描かれています。空を流れる雲は強い風が吹いていることを思わせます。不穏な空気があり、うなだれて去っていく人と勝ち誇ったような若者の横顔が印象的です。これは棒5のような生命の輝きにあふれた競い合いとは違います。自分も傷つき、相手も傷つけずにはおかない、容赦ない過酷な戦いがあったのでしょう。
剣は思考の働きを表わします。合理的な思考はそもそもが『人間的な』ものです。剣は人間によって振るわれるべきものです。【剣5】では、思考が人間によって切れ味よく振るわれることを喜んだでしょう。振るわれた思考はそれぞれの個性を主張し、形をそろえて調和することを拒否したでしょう。そこにはもちろん安定や美はありません。惨めな勝利と惨めな敗北があるばかりです。喜んでいるのは剣・風・思考ばかりで人間は得をしていません。
■金貨5
ここでは教会の窓の前を貧しい裸足の女性やびっこの物乞いらが通りかかっています。冷たい雪が積もり凍える中、日々の糧を得ようにもその術もありません。彼らは物質的な貧しさに心まで冒され信仰心を失いそうになっています。教会のドアを叩けば雪を避け、一時のやすらぎを得ることも出来るのですが…
金貨は物質・お金・成果やステータスを表わします。これらは『人間』が社会生活をおくる上で必要なものです。
金貨は循環することを好みますが、お金それ自体が安定化した物質です。また『お金に名前は書いていない』と俗に言いますが、お金には個性はなく、たくさん集まって色々な用途に使うことが出来ます。ところが【金貨5】ではモノ・お金が安定せず、失われています。
“人”は美しく生きること叶わず、みすぼらしく惨めです。『不幸の形は千差万別』などとも言いますが、これら貧しく病んだ人たちがいくらたくさん集まっても何一つ有用なことは成しえそうにありません。貧しさの中で人は人としての欲望や恐怖をむき出しにしてしまいます。
しかしこの貧しさの中で“人間”の人間らしいもうひとつの側面…神への信仰がクローズアップされてきます。信仰の美しさを取り戻すことができれば、貧しさや病の不幸から抜け出す第一歩を踏むことが出来るでしょう。
*-*-*-*-*-*-*
わたしは『小アルカナの5は凶札』という考え方に気を取られている期間がずいぶん長くありました。【棒5】は意見の対立で混乱した現場、【聖杯5】は期待はずれでがっかり、【剣5】は憎しみ、恨み、容赦ない攻撃、人を陥れる、【金貨5】は貧乏クジを引く、貧困に陥る、などなど…このような“しんどい”カードが大事な場所に出たりすると読むのが嫌で嫌で『5』のカードなんて無ければいいのに、などと忌み嫌っていました。
しかしある時からふと、『5』の凶意の影に隠れて、人間存在のたくましさ、複雑さがチラチラと見え隠れしはじめ、やがてそこに深い学びの種があることを発見し、今ではついに、積極的に歓迎こそしないものの、無闇に嫌うことはなくなりました。
わたしは特に【金貨5】と【剣5】が大嫌いでした。どちらのカードにも救いがないと感じられていたのです。貧困や病なんて本当におぞましいですし、果てのない論戦や恨み・遺恨なんて神経を病み心を傷つけるだけです。
しかしわたしはある時、実際に【金貨5】や【剣5】の状態にどっぷりと浸かる経験をすることとなりました。自分でカードを切ってみてもやはり両カードが頻繁に出てきます。経済状態も精神状態もひどいものでした。これらのカードを見るたび憂鬱になり、むしゃくしゃして絶望的になったものです。
煮詰まって煮詰まって、お金もなく暇を持て余し、こんなことなら遁走してどこかお寺に篭って修行でもしたいものだわ、と考えた時、見慣れた【金貨5】のカードの、教会の窓が思い出されたのです。
それは本当に何度も何度も見たカードでした。この教会の窓の意味も知っていたはずなのに、それが本当に心の中でどんな意味を持ちうるのか、一体、実際にはどんな風に映るのかを今まできちんと想像したことがなかったのです。
その時の感情を文字にするのはとても難しいです。おそらくそれを言葉で伝えるのは不可能だろうと思います。わたしは【金貨5】の洞察で得た気づきによって実際に【金貨5】の状態から脱出できましたし、同じように忌み嫌っていた【剣5】からも同様に気づきを得て脱出することが出来ました。
結論だけをとてもシンプルに言えば『5』から『6』に抜ければ良い、というだけの話なのです。しかしどうすれば『5』から『6』に抜けられるのか、ということが問題なのであって、それは各人が自分の頭とハートと情熱でそれをやりぬくしかありません。たぶん『錬金術』とか『西洋儀式魔術』というのはそこのところのノウハウを教えてくれるものなのかなと思います。
『5』はとても厳しい状況を示すと同時に、もっとも力強い教えを含んでいるカードです。大好き、とはとても言えないけれど、人生の困難に立ち向かう秘密を教えてくれる、厳しく頼もしい先生と言えると思います。
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