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大阪の占い師 サワツ純子 のタロットブログです。たまに理屈っぽい日常のああだこうだも入っています。
長文OK・お暇な方のみお読み下さいませ。(・∀・)サワツ純子
※各ブログ記事へのインデックスを作ってみました。良ければご利用ください※
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興味のある方はどうぞお越しくださいませ。
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今回は、剣<ソード> のスートです。
*-*-*-*-*-*-*
剣<ソード>
◆四大元素の『風』のエレメントに対応。
◆占星術では双児宮(ふたご)天秤宮(てんびん)宝瓶宮(みずがめ)に対応。
◆心理学的類型の四機能『思考』に対応。トランプのスートでは『スペード』。
*-*-*-*-*-*-*
剣のスートをわたしは『頭で考えること・論理性』と捉えています。そこから派生してアイデア、工夫、形を整える、言葉にする、伝達など広い範囲の物事を扱います。
「頭で考える」のと「心で感じる」のは違いますし「直観で悟る」のも全然違いますね。でもこれらは通常、個人の生活の中ではごっちゃにされやすいです。
それはこういうわけです。
・「ハートで感じる(水)」→「感じたことを誰かに伝えようとする/自分自身に言い聞かせようとする」→「つじつまが合う言葉にする」
・「直感的にこうだ!と悟る(火)」→「他人や自分自身に対して証拠・確証が必要になる」→「つじつまが合う理由を組み立てる」
下線の部分が剣の働きです。
人は意図を自分に確認したり誰かに伝えたりする時、必ず「言葉」のお世話になります。あらゆる感情・精神活動には言葉の介入が欠かせません。人は「ハート」が感じることも、「直観」が導くこともすべて「頭」を通さなければうまく表現できないのです。それでつい感情(水=ハート)も直観(火=霊観)も自分が頭で導き出した『考え(風=思考)』であると勘違いしてしまうのです。
わたしはあらゆる悩み、不安、恐怖などは上記に述べたような混乱に大きな原因があると思っています。感情には感情の価値があり、直観には直観の価値があるにも関わらず、人はつい「筋道が立たないこと、証拠がないことには価値がない」と考えてしまいがちです。そして自分の抱いた感情や直観に「正当性」を与えようと思って、せっせと「理屈をくっつけ」るのです。
好き嫌いには筋道や理屈は関係ありません。しかし「好き」の心は人が人らしく生きていく上で最も大きなパワーを持っています。
直観や暗黙知は多くの場合、すぐに証明され得ません。証明されるためには歴史的な時の経過を必要とすることもしばしばです。しかしそこには本質をついた真理が隠されています。
これらのことを筋道や理屈の枠に押し込むのはそもそも無理なのです。感情や直観は、たとえそれに正当性があろうとあるまいと、筋道がたっていようといまいと、それをあるがまま受け取る必要があります。でないと肝心の本質が損なわれてしまいます。
そして剣は、適切に使用されれば圧倒的、かつ驚くほど洗練された力を発揮します。剣の力を心や命に振るってはなりません。そして「筋道や理屈の通じない者・根拠を持たず飛躍する者(=直観や感情)」の正当化のために振るうべきではありません。
*-*-*-*-*-*-*
実占ではさまざまに解釈しますが、展開の中に剣のカードが多いと『ずいぶん神経質になっているな』と思います。思考はシンプルで美しいほどその威力を発揮します。多くあればあるほど混乱を導きます。
ここで剣の1から10までのカードを見ていただきたいと思います。
前回注目した『4』のカードには黄色が印象的に使われています。『4』は安定して動かない数字です。カードの人物も静かに横たわっていますね。やすらぎを感じます。
『7』のカードも黄色がたくさん使われています。キョロキョロしている人物がたくさんの剣を抱えています。手放しに「いい感じ」とは言えませんが他のカードに比べると温かみや快活さを感じます。『7』は、理想的な調和を表わす『6』から一段階進んだ状態です。少しバランスは崩れていますが「良い結果を得るために頑張る」数字です。
『8』『9』『10』はとても暗く怖い印象です。『3』と『5』は傷の痛みを想起してしまうようなデザインです。『2』と『6』は静かな感じですが目隠しだったり後ろ向きだったりどこか剣を振るうには適切でない感じがします。
このように見ていくと剣が剣らしく、好ましく感じられるのは『1』、エースのカードだけのような気がします。剣は2本以上あると戦いになってしまうのです。1本だけの剣は道具として、象徴として素晴らしく機能します。
また前回、聖杯の記事でこのように書きました。
”聖杯のスートはその中でも喜と楽…よろこび・楽しみなど、良き側面を扱っていると言えるでしょう。ちなみに怒は棒が、哀は剣が扱っているようにわたしには思えます。”
怒りには理屈は必要ありません。怒りはその性質上、直ちに発散されるものです。上手く発散してしまえば後には何も残りません。
それに対して、怒りを我慢しなければならなかったり、他人から怒りを向けられてもやり返せないと、それは哀しみや憎しみになります。哀しみや憎しみをなんとか自分の内側で処理するためには『理屈』が必要になります(=剣を使うことになる)。理屈でつじつまを合わせないと納得できないし、納得できなければ戦いになるからです。でも戦って勝つ保証はありません。どうしても勝てない相手に怒りや不満を抱いたときは諦めるしかありません。諦めは怒りを通り越して哀しみ・憎しみに変わります。
人は自分の思うようにならない状況に対して無力なとき、あれこれと思い悩みます。その最たるものが神経症です。剣の『9』を見て下さい。ベッドに入った人が頭を抱えています。この人は限界まで悩み尽くして病んでしまったのです。
しかし、悩めば悩むほど解決が近づく訳ではありません。聖杯と違ってたくさんあっても良いわけではないのです。どのように考えればよいのか、どのように悩めばよいのか。それは剣をシンプルに使うことです。
*-*-*-*-*-*-*
以下に剣のスートについてわたし自身が採用している解釈を簡単に記します。()内は補足です。
【剣1】困難を乗り越える意志を持つ。アイデアやビジョンが浮かぶ。
【剣2】妥協する。自分の本心に眼をつぶって現状と折り合う(戦い・対決を避けるため)。
【剣3】深く傷つく。第三者の気持ちや立場にも及ぶようなトラウマ的経験。
【剣4】考えるのを休憩する。一旦休息をとる。(再起のための休憩)
【剣5】恨みや憎しみ。軽率な攻撃。
【剣6】不都合な現状から穏便に脱出する。脱出を助けてくれる人の存在。逃げるが勝ち。(戦いを避けるための最も良い方法が実現する)
【剣7】不都合な現状を穏便に解決するため、ごまかしや婉曲的方法をも考慮する。(うまく行くならば、戦うよりは良い方法/剣の力が積極的に使われる)
【剣8】理屈に囚われがんじがらめになる。現状が正しく見えなくなっている。(不本意でもあるがままを認めれば自由になれる)
【剣9】悩みすぎ、怖がりすぎ、神経症。悪夢。実のないことを怖がる。(もしくは他人から怖がらせられる)
【剣10】悩みや苦しみが限界を超える。無抵抗に傷つけられズタズタになる。時間が解決してくれる。(一方的にやられる。戦い合うよりは良い)
*-*-*-*-*-*-*
剣は戦いの武器としての印象があります。戦争においては人を傷つけ、威嚇し、殺すための道具となります。
しかしそれは剣の最も悪い使われ方です。剣は本来は単に『刃物』です。ナイフ、鋏、包丁、カッターナイフ、錐(きり)や鉋(カンナ)やのこぎりなどの大工道具全般、文房具の押しピンなんかも含まれるでしょう。
これらの道具は対象を有用な形に整えます。ナイフや包丁は食べ物などを小さく切り分けます。鋏は紙や布をどんな複雑な形にでも切り取ることが出来ます。鉋は建築物を建てるために木材を薄く削って調えます。キリは他の刃物ではとても難しい小さな穴を開けてくれます。…これらの『刃物』がどれほど便利で、有用で、わたしたちの文化の発展に貢献しているかは計り知れません。
今例に挙げたような『刃物』たちは『物体』を切り分けます。物体としての剣は物体を切り取って形成します。
しかし象徴としての剣=思考・言葉・論理は、抽象的なものを切り分けます。それは物事の「意味や価値」を意図する形に整え、有用なものとして共有したり伝達したりすることです。
例えば「愛」という言葉がなければ、どうやってわたしたちは愛について語り合えるでしょう。胸のうちにあふれる温かいものをどうやって相手に伝えられるでしょう。目に見えないものに言葉を与えることである概念を他人と共有し、伝達できるのは剣の機能があるからこそです。
例えば「卒業式の日の朝」と聞いて思い浮かべる心象風景は人によってまちまちでしょう。「晴れやかな…」なのか「心躍る…」なのか「切ない…」なのか、修飾する言葉によってイメージする景色は変わって来ます。
このように言葉を変えることで伝達しようとする意味を変えることは、まるで物体の形を自由自在に整えることに似ています。
もしあなたが誰かからただの木片を貰ったとしたら、「これは何だろう?」と疑問に思うでしょう。でもその木片があらかじめ素敵なお花や可愛い動物の形に彫刻されていたら、あなたは贈り主の善意や好意を貰ったのだと理解できます。それが気味の悪い虫や邪悪なドクロの形だったら嫌がらせだと思うでしょう。同じ木片なのに、どのように形を整えるかによって意味や意図が自在に変わります。剣の機能はこのように、あらゆる物事に対して「意味や意図の操作」を可能にするのです。
*-*-*-*-*-*-*
さて、このように便利で素晴らしい剣の機能も、それを持つ人の心によって、その性質は変わって来ます。
人の痛みを良く理解し、怒りや不満に囚われない冷静な・正しい判断力を持ち、剣の切れ味の恐ろしさを熟知している達人ならば、安全に適切に有用に剣を振るえるでしょう。
逆に、すぐに怒りや恨みを抱き、面白半分に切れ味を試したいと思うような人が剣を持つと危なくて仕方ありません。
言葉や論理も同じです。
思慮深く冷静で温和な人ならば、言葉によって素晴らしい世界を表現し、論理で世界観を操作することで多くの人びとに平和な心のやすらぎを与えることが出来るでしょう。怒りは鎮められ、悲しみは深くて強い絆に変わるでしょう。
しかし征服欲や支配欲に満ちた無思慮な人物が言葉を巧みに操るとき、そこには大きな破壊と混乱が起こります。根拠のないものにもっともらしい根拠を与え、単なる欲望に大義名分を与え、「これが正しいのですよ」「これが素晴らしいのですよ」と触れ回ればどうなることか、容易に想像がつくでしょう。
剣を振るうのはとても難しいことです。心のコントロールと身体のコントロールと技の熟練が必要です。未熟であれば人を傷つけます。
タロットはその剣の絵柄で重要なことを教えています。
剣を持つものは戦ってはならない、ということです。剣はその能力からして戦いに決定的な威力を発揮します。だからこそ、それを使ってはならないのです。
相手を負かすための剣、傷つけ貶めるための剣が振るわれている時、一番良い方法は相手にしないでその場を離れることです。剣を威圧的に振るっている人間に勝とうと思わないことです。勝負に負けることはちっとも恥ではありません。相手がどんなに勝ち誇っていても放っておけば良いのです。悔しいと思うことは更なる戦いを生みます。
【剣の6】は「逃げるが勝ち」と告げています。勝負を挑んで負けてしまうことは相手をつけ上がらせることになります。白けた顔で立ち去り、平和な場所で楽しく笑い合う方がずっと優位に立てます。
剣は人の生活を便利にし、人の心を豊かに表現するためのものです。真実を正しく描写し、共同生活を円滑にするためのものです。
【剣の1】が輝かしい王冠と月桂樹を戴いているのは、真の王者となるためです。それは戦いに勝つことではなく、人の心と生活を束ね、守り、称えることで実現するのです。
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剣<ソード>
◆四大元素の『風』のエレメントに対応。
◆占星術では双児宮(ふたご)天秤宮(てんびん)宝瓶宮(みずがめ)に対応。
◆心理学的類型の四機能『思考』に対応。トランプのスートでは『スペード』。
*-*-*-*-*-*-*
剣のスートをわたしは『頭で考えること・論理性』と捉えています。そこから派生してアイデア、工夫、形を整える、言葉にする、伝達など広い範囲の物事を扱います。
「頭で考える」のと「心で感じる」のは違いますし「直観で悟る」のも全然違いますね。でもこれらは通常、個人の生活の中ではごっちゃにされやすいです。
それはこういうわけです。
・「ハートで感じる(水)」→「感じたことを誰かに伝えようとする/自分自身に言い聞かせようとする」→「つじつまが合う言葉にする」
・「直感的にこうだ!と悟る(火)」→「他人や自分自身に対して証拠・確証が必要になる」→「つじつまが合う理由を組み立てる」
下線の部分が剣の働きです。
人は意図を自分に確認したり誰かに伝えたりする時、必ず「言葉」のお世話になります。あらゆる感情・精神活動には言葉の介入が欠かせません。人は「ハート」が感じることも、「直観」が導くこともすべて「頭」を通さなければうまく表現できないのです。それでつい感情(水=ハート)も直観(火=霊観)も自分が頭で導き出した『考え(風=思考)』であると勘違いしてしまうのです。
わたしはあらゆる悩み、不安、恐怖などは上記に述べたような混乱に大きな原因があると思っています。感情には感情の価値があり、直観には直観の価値があるにも関わらず、人はつい「筋道が立たないこと、証拠がないことには価値がない」と考えてしまいがちです。そして自分の抱いた感情や直観に「正当性」を与えようと思って、せっせと「理屈をくっつけ」るのです。
好き嫌いには筋道や理屈は関係ありません。しかし「好き」の心は人が人らしく生きていく上で最も大きなパワーを持っています。
直観や暗黙知は多くの場合、すぐに証明され得ません。証明されるためには歴史的な時の経過を必要とすることもしばしばです。しかしそこには本質をついた真理が隠されています。
これらのことを筋道や理屈の枠に押し込むのはそもそも無理なのです。感情や直観は、たとえそれに正当性があろうとあるまいと、筋道がたっていようといまいと、それをあるがまま受け取る必要があります。でないと肝心の本質が損なわれてしまいます。
そして剣は、適切に使用されれば圧倒的、かつ驚くほど洗練された力を発揮します。剣の力を心や命に振るってはなりません。そして「筋道や理屈の通じない者・根拠を持たず飛躍する者(=直観や感情)」の正当化のために振るうべきではありません。
*-*-*-*-*-*-*
実占ではさまざまに解釈しますが、展開の中に剣のカードが多いと『ずいぶん神経質になっているな』と思います。思考はシンプルで美しいほどその威力を発揮します。多くあればあるほど混乱を導きます。
ここで剣の1から10までのカードを見ていただきたいと思います。
前回注目した『4』のカードには黄色が印象的に使われています。『4』は安定して動かない数字です。カードの人物も静かに横たわっていますね。やすらぎを感じます。
『7』のカードも黄色がたくさん使われています。キョロキョロしている人物がたくさんの剣を抱えています。手放しに「いい感じ」とは言えませんが他のカードに比べると温かみや快活さを感じます。『7』は、理想的な調和を表わす『6』から一段階進んだ状態です。少しバランスは崩れていますが「良い結果を得るために頑張る」数字です。
『8』『9』『10』はとても暗く怖い印象です。『3』と『5』は傷の痛みを想起してしまうようなデザインです。『2』と『6』は静かな感じですが目隠しだったり後ろ向きだったりどこか剣を振るうには適切でない感じがします。
このように見ていくと剣が剣らしく、好ましく感じられるのは『1』、エースのカードだけのような気がします。剣は2本以上あると戦いになってしまうのです。1本だけの剣は道具として、象徴として素晴らしく機能します。
また前回、聖杯の記事でこのように書きました。
”聖杯のスートはその中でも喜と楽…よろこび・楽しみなど、良き側面を扱っていると言えるでしょう。ちなみに怒は棒が、哀は剣が扱っているようにわたしには思えます。”
怒りには理屈は必要ありません。怒りはその性質上、直ちに発散されるものです。上手く発散してしまえば後には何も残りません。
それに対して、怒りを我慢しなければならなかったり、他人から怒りを向けられてもやり返せないと、それは哀しみや憎しみになります。哀しみや憎しみをなんとか自分の内側で処理するためには『理屈』が必要になります(=剣を使うことになる)。理屈でつじつまを合わせないと納得できないし、納得できなければ戦いになるからです。でも戦って勝つ保証はありません。どうしても勝てない相手に怒りや不満を抱いたときは諦めるしかありません。諦めは怒りを通り越して哀しみ・憎しみに変わります。
人は自分の思うようにならない状況に対して無力なとき、あれこれと思い悩みます。その最たるものが神経症です。剣の『9』を見て下さい。ベッドに入った人が頭を抱えています。この人は限界まで悩み尽くして病んでしまったのです。
しかし、悩めば悩むほど解決が近づく訳ではありません。聖杯と違ってたくさんあっても良いわけではないのです。どのように考えればよいのか、どのように悩めばよいのか。それは剣をシンプルに使うことです。
*-*-*-*-*-*-*
以下に剣のスートについてわたし自身が採用している解釈を簡単に記します。()内は補足です。
【剣1】困難を乗り越える意志を持つ。アイデアやビジョンが浮かぶ。
【剣2】妥協する。自分の本心に眼をつぶって現状と折り合う(戦い・対決を避けるため)。
【剣3】深く傷つく。第三者の気持ちや立場にも及ぶようなトラウマ的経験。
【剣4】考えるのを休憩する。一旦休息をとる。(再起のための休憩)
【剣5】恨みや憎しみ。軽率な攻撃。
【剣6】不都合な現状から穏便に脱出する。脱出を助けてくれる人の存在。逃げるが勝ち。(戦いを避けるための最も良い方法が実現する)
【剣7】不都合な現状を穏便に解決するため、ごまかしや婉曲的方法をも考慮する。(うまく行くならば、戦うよりは良い方法/剣の力が積極的に使われる)
【剣8】理屈に囚われがんじがらめになる。現状が正しく見えなくなっている。(不本意でもあるがままを認めれば自由になれる)
【剣9】悩みすぎ、怖がりすぎ、神経症。悪夢。実のないことを怖がる。(もしくは他人から怖がらせられる)
【剣10】悩みや苦しみが限界を超える。無抵抗に傷つけられズタズタになる。時間が解決してくれる。(一方的にやられる。戦い合うよりは良い)
*-*-*-*-*-*-*
剣は戦いの武器としての印象があります。戦争においては人を傷つけ、威嚇し、殺すための道具となります。
しかしそれは剣の最も悪い使われ方です。剣は本来は単に『刃物』です。ナイフ、鋏、包丁、カッターナイフ、錐(きり)や鉋(カンナ)やのこぎりなどの大工道具全般、文房具の押しピンなんかも含まれるでしょう。
これらの道具は対象を有用な形に整えます。ナイフや包丁は食べ物などを小さく切り分けます。鋏は紙や布をどんな複雑な形にでも切り取ることが出来ます。鉋は建築物を建てるために木材を薄く削って調えます。キリは他の刃物ではとても難しい小さな穴を開けてくれます。…これらの『刃物』がどれほど便利で、有用で、わたしたちの文化の発展に貢献しているかは計り知れません。
今例に挙げたような『刃物』たちは『物体』を切り分けます。物体としての剣は物体を切り取って形成します。
しかし象徴としての剣=思考・言葉・論理は、抽象的なものを切り分けます。それは物事の「意味や価値」を意図する形に整え、有用なものとして共有したり伝達したりすることです。
例えば「愛」という言葉がなければ、どうやってわたしたちは愛について語り合えるでしょう。胸のうちにあふれる温かいものをどうやって相手に伝えられるでしょう。目に見えないものに言葉を与えることである概念を他人と共有し、伝達できるのは剣の機能があるからこそです。
例えば「卒業式の日の朝」と聞いて思い浮かべる心象風景は人によってまちまちでしょう。「晴れやかな…」なのか「心躍る…」なのか「切ない…」なのか、修飾する言葉によってイメージする景色は変わって来ます。
このように言葉を変えることで伝達しようとする意味を変えることは、まるで物体の形を自由自在に整えることに似ています。
もしあなたが誰かからただの木片を貰ったとしたら、「これは何だろう?」と疑問に思うでしょう。でもその木片があらかじめ素敵なお花や可愛い動物の形に彫刻されていたら、あなたは贈り主の善意や好意を貰ったのだと理解できます。それが気味の悪い虫や邪悪なドクロの形だったら嫌がらせだと思うでしょう。同じ木片なのに、どのように形を整えるかによって意味や意図が自在に変わります。剣の機能はこのように、あらゆる物事に対して「意味や意図の操作」を可能にするのです。
*-*-*-*-*-*-*
さて、このように便利で素晴らしい剣の機能も、それを持つ人の心によって、その性質は変わって来ます。
人の痛みを良く理解し、怒りや不満に囚われない冷静な・正しい判断力を持ち、剣の切れ味の恐ろしさを熟知している達人ならば、安全に適切に有用に剣を振るえるでしょう。
逆に、すぐに怒りや恨みを抱き、面白半分に切れ味を試したいと思うような人が剣を持つと危なくて仕方ありません。
言葉や論理も同じです。
思慮深く冷静で温和な人ならば、言葉によって素晴らしい世界を表現し、論理で世界観を操作することで多くの人びとに平和な心のやすらぎを与えることが出来るでしょう。怒りは鎮められ、悲しみは深くて強い絆に変わるでしょう。
しかし征服欲や支配欲に満ちた無思慮な人物が言葉を巧みに操るとき、そこには大きな破壊と混乱が起こります。根拠のないものにもっともらしい根拠を与え、単なる欲望に大義名分を与え、「これが正しいのですよ」「これが素晴らしいのですよ」と触れ回ればどうなることか、容易に想像がつくでしょう。
剣を振るうのはとても難しいことです。心のコントロールと身体のコントロールと技の熟練が必要です。未熟であれば人を傷つけます。
タロットはその剣の絵柄で重要なことを教えています。
剣を持つものは戦ってはならない、ということです。剣はその能力からして戦いに決定的な威力を発揮します。だからこそ、それを使ってはならないのです。
相手を負かすための剣、傷つけ貶めるための剣が振るわれている時、一番良い方法は相手にしないでその場を離れることです。剣を威圧的に振るっている人間に勝とうと思わないことです。勝負に負けることはちっとも恥ではありません。相手がどんなに勝ち誇っていても放っておけば良いのです。悔しいと思うことは更なる戦いを生みます。
【剣の6】は「逃げるが勝ち」と告げています。勝負を挑んで負けてしまうことは相手をつけ上がらせることになります。白けた顔で立ち去り、平和な場所で楽しく笑い合う方がずっと優位に立てます。
剣は人の生活を便利にし、人の心を豊かに表現するためのものです。真実を正しく描写し、共同生活を円滑にするためのものです。
【剣の1】が輝かしい王冠と月桂樹を戴いているのは、真の王者となるためです。それは戦いに勝つことではなく、人の心と生活を束ね、守り、称えることで実現するのです。
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