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大阪の占い師 サワツ純子 のタロットブログです。たまに理屈っぽい日常のああだこうだも入っています。
長文OK・お暇な方のみお読み下さいませ。(・∀・)サワツ純子
※各ブログ記事へのインデックスを作ってみました。良ければご利用ください※
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今回は、聖杯<カップ> のスートです。
*-*-*-*-*-*-*
聖杯<カップ>
◆四大元素の『水』のエレメントに対応。
◆占星術では巨蟹宮(かに)天蠍宮(さそり)双魚宮(うお)に対応。
◆心理学的類型の四機能『感情』に対応。トランプのスートでは『ハート』。
*-*-*-*-*-*-*
聖杯のスートの意味するものをシンプルに言い表わすと『心・感情・愛・快楽・芸術』となるのではと思います。
棒のスートが「行動」や「やる気」など『主体から外部への働きかけ・またはその力』(=能動的な力)を表わしているのに対し、聖杯は『主体が外部から受け取るもの・受け取った反応』(=受動的な態度)を表わしています。
棒のスートは『火』に対応します。『火』は周囲の酸素を取り込みながら、燃えるものがなくなるまで自分で燃え続けます。『火』は自発的で自動的であり自然です。
聖杯のスートは『水』に対応します。水は、刺激がなければそこに静かに留まっています。誰かが水に石を投げ込むと波紋が起きます。この波紋が「感情」です。もし何の刺激も与えられず動きのないまま長く放っておかれれば、水は腐ってしまいます。これは「退屈・倦怠」に例えられるでしょう。ここでいう『水』は『=心そのもの』であり、『波紋』は『=感情の動き』です。聖杯は『心』と『感情』を表わすスートです。
心・感情と言ってもそこにはさまざまなものがあります。喜・怒・哀・楽などと言いますが、聖杯のスートはその中でも喜と楽…よろこび・楽しみなど、良き側面を扱っていると言えるでしょう。ちなみに怒は棒が、哀は剣が扱っているようにわたしには思えます。
そのわけは、喜や楽は心にとってすんなりと受け入れられる…カップの性質が生かされる…のに対し、怒や哀は容易に受け入れられず(カップの性質は使えない)、反発を伴った行為として表れざるを得ない(棒や剣を使うことになる)からではないかとわたしは考えています。
*-*-*-*-*-*-*
実占において聖杯のスートは単純に『心の状態』と見ることが多いです。例えば恋愛のことを見るのに聖杯のスートが少なく剣や棒が多いと、お互いの関係性がどうかとか、進展度ばかりに焦点があたっていて、恋愛そのものの滋味である情緒を楽しめていない状態だなと思います。
逆に事業や仕事に関して聖杯が多くを占め剣や棒が少ないと、楽しんで取り組めたり心地よい職場ではあるけれども、本来の目的に沿った建設的な取り組みがされていなかったり、緊張感がなくだらけている雰囲気だなと感じます。
聖杯のスートは音楽や美術などの芸術性も表わします。芸術とは、人間の心がよろこぶこと…快・楽・美…を追究する術です。そこには混沌としたものも含まれます。キラキラした美もあればくすんで歪んだ美もあります。柔らかく心地よい快もあれば、するどく勢いのある激しい快もあります。よろこびいっぱいの楽しさもあれば、緊張感とスリルを味わう楽しさもあります。『水』・『心』は、それが引き受け得るものならばあらゆるものを飲み込みます。
*-*-*-*-*-*-*
聖杯のスートで表わされる人柄は、人当たりが柔らかくて親切。好意に満ち、優しく、嫌味でない自然なオシャレが上手なので、顔立ちやスタイルはどうあれおのずと異性のハートを掴むことが多いでしょう。
異性と接したり異性に好かれることが好きで、普通にしていてもなぜか色気を感じさせるタイプです。恋愛や芸術が生きがいとなりやすく、思いを遂げるためには他のものを投げ打つことも辞しません。周りの人の感情を巻き込むドラマティックな事態を起こしやすい傾向があります。
ただし日常生活においては八方美人的で、厳しい状況に直面するのを嫌ったり避けたりする平和主義者です。彼らはスマートで美しくカッコよくありたいし、人に好かれる「いい人」でありたいし、またいつまでも自由な恋愛を楽しみたいと思っています。人に嫌われたくないので、はっきりノーと言わなければならない状況からはあらかじめ逃げようとします。このような傾向が悪く表れると、人の言うことに容易に同意し口あたりの良いことばかり言う、責任をとらない・けじめのない人物像が浮かび上がってきます。
その反面、彼らの好みは実にはっきりしていて価値基準が揺らぎません。人に「ノー」をつきつける強さは持っていませんが、心の中ではしっかり答えが定まっています。その基準は『好きか・嫌いか』『興味があるか・ないか』です。
彼らは好きなものには興味を持ち、嫌いなものには一顧だにしません。彼らにとっては「良いか悪いか」「正しいか正しくないか」は二の次です。彼らの心を震わせ心地よくさせるものは『好き』で『興味があり』、心が動かないものは関係がありません。彼らが人に見せる態度はたいてい体裁よく調えられていますが、その内側では揺らがない価値基準によって容赦なく「要るもの」と「要らないもの」により分けられ、「要らないもの」はあっさり無視されていることがほとんどです。彼らが怒ったり争ったりしないのは、元々自分が要らないものとはマトモに付き合わないと決めているからです。
その代わり彼らは愛を感じるもの、好きなもの、興味があるものにはとことん情熱を注ぎ込み、心底陶酔します。人が何を言おうと、どんなに他から批判されようと、彼らの気持ちを変えることは出来ません。好きなものは好き、愛しているものは愛さずにはおれないのです。たとえそれが邪悪で害をなすものであってもそんなことは愛を妨げる理由にはなりません。
その法則は逆にも成り立ちます。どんなに他人が誉めている、人気がある評判の良いものでも、自分が「良くない・嫌い」と感じれば見向きもしません。それはまさしく『愛』の本来の・純粋な形といえると思います。聖杯の要素の強い人はそれだけ『愛』を純粋な形で享受できる人たちなのでしょう。
*-*-*-*-*-*-*
さて、聖杯の1から10までのカードを見比べていただきたいと思います。
前回の棒のスートでは、棒の性質が好ましい形で現われていたのは『6』まででした。7以降は少し圧迫感を感じるしんどそうな絵柄になっていました。
聖杯の場合はどうでしょう。『4』『5』『8』の絵に描かれている人が比較的憂鬱そうです。剣や棒は数字が大きくなるに従って圧迫感が強くなっていきましたが、聖杯の場合は単純なグラデーションになっていません。
これはそれぞれの「スートの性質」と「数字の性質」に拠っています。
『4』は最も安定した数字で固定的であることを表わします。棒が示す「活力・エネルギー・行動」が「安定的」であることは、比較的喜ばしい状態と言えるでしょう。安定化・固定化しても大丈夫なのは現状が好ましいからだと言えます。もし好ましくなければ棒の性質からして自発的な行動により活発化せざるを得ません。
それに対し聖杯が示す『水』…心や感情はどうでしょう。先ほども述べたように『水』は動かなければ腐ってしまいます。心も感情も刺激されることがなければ退屈や倦怠に陥ってしまいます。聖杯4の人物は腕組をして眼を閉じ、何かを考え込んでいるようにも眠っているようにも見えますね。
『5』では失望し落胆した人物が描かれています。『5』は安定していたバランスが崩れる数字です。何かが多すぎたり少なすぎたりしたのでしょう。バランスが崩れて杯が3つ倒れてしまいました。『5』はどのスートにおいてもバランスが崩れる・乱れていることを表わします。
以下は参考までに4つのスートそれぞれの『5』のカードです。
聖杯の『8』はどうでしょう。『8』は『4』の2倍です。聖杯の『4』の意味をシンプルに発展させれば、『退屈や倦怠』が倍になって我慢できなくなりどこか別のところへ立ち去ってしまう、と考えられそうです。
また別の見方をすれば、『水』は形のないものです。形があれば安定したものを積み上げることが出来ますが、『水』を積み上げるのは困難です。わたし個人は『8』を「努力によるレベルアップ」の数字と捉えていますが『心や感情』を努力によってレベルアップすることはとても難しいことです。ですから聖杯の『8』はレベルアップを目前に放棄する・諦める、という意味にも読んでいます。
ちなみに『形あるもの』の代表、金貨の『8』はこれです。
まさに『努力によってレベルアップ』そのもののカードです。
棒や剣のスートで苦しそうだった『9』『10』のカードについては、聖杯では満足感やしあわせの印象を与えます。たくさんあればよろこばしい・たくさんあると良くない、という観点で各スートを眺めると、その性質が面白いように浮き上がってきます。
*-*-*-*-*-*-*
聖杯のスートについて、以下にわたし自身が採用している解釈を簡単に記します。
【聖杯1】心が動く。愛を感じる。気持ちが通じる。
【聖杯2】二つの心が感じあう。相手を意識する。
【聖杯3】みんなで楽しむ、みんなで喜ぶ。公の喜びごと。楽しい集まり。第三者の存在がクローズアップされる。
【聖杯4】心が動かない。退屈と倦怠。下手な考え。鈍い。簡単なことに気づかない。
【聖杯5】失望。失敗。心が過失にとらわれる。
【聖杯6】穏やかだがみずみずしい感情。幼い頃の思い出。子供に対する気持ち。
【聖杯7】夢と妄想。迷い。あてのない理想と希望。
【聖杯8】心変わり。現状に対するあきらめ。今よりもっとよいものを探そうとする。
【聖杯9】満足。物質的に満たされる。楽しめる。飲食。
【聖杯10】しあわせの共有。家族のしあわせ。
*-*-*-*-*-*-*
ところで『聖杯』とはその名の通り、ただのコップではありません。
聖杯1のカードを見ると、光輝く金色の杯からまるで噴水のように水がほとばしり、白い鳩が聖餐儀式につかわれる聖体のパン(丸に十字のウエファース)をくわえて来ています。
キリスト教会で行われるミサでは、パンとワインがキリストの肉と血に変わり、それを皆が分かち合うという意味を持つ儀式が行われます。このカードに描かれている杯はその『聖なる杯』です。
この杯からあふれる水はキリストの犠牲によって湧き出でた『無私の愛』の象徴であり、この愛を受ける『心=杯』はまさしく聖なる器です。
「神」や「愛」という言葉やその意味するものは簡単に言い表すことは出来ません。それは混じりけのない澄んだ透明のものでもありえるし、あらゆるものが混沌と交じり合った濃密な毒でもあり得ます。
わたしたちが自分のうちにひとつずつ持っている『心』という聖杯は、自分次第でどんなものを入れることも出来ます。その意味と意義を感じながら聖杯のカードを味わうのはとても素敵なことですね。
そしてこんなに小さなひとつの杯が、考え方によっては宇宙をいくつも飲み込めるくらい、限りない容量を持ち得るのだと想像するのはとても楽しいことだと思います。
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聖杯<カップ>
◆四大元素の『水』のエレメントに対応。
◆占星術では巨蟹宮(かに)天蠍宮(さそり)双魚宮(うお)に対応。
◆心理学的類型の四機能『感情』に対応。トランプのスートでは『ハート』。
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聖杯のスートの意味するものをシンプルに言い表わすと『心・感情・愛・快楽・芸術』となるのではと思います。
棒のスートが「行動」や「やる気」など『主体から外部への働きかけ・またはその力』(=能動的な力)を表わしているのに対し、聖杯は『主体が外部から受け取るもの・受け取った反応』(=受動的な態度)を表わしています。
棒のスートは『火』に対応します。『火』は周囲の酸素を取り込みながら、燃えるものがなくなるまで自分で燃え続けます。『火』は自発的で自動的であり自然です。
聖杯のスートは『水』に対応します。水は、刺激がなければそこに静かに留まっています。誰かが水に石を投げ込むと波紋が起きます。この波紋が「感情」です。もし何の刺激も与えられず動きのないまま長く放っておかれれば、水は腐ってしまいます。これは「退屈・倦怠」に例えられるでしょう。ここでいう『水』は『=心そのもの』であり、『波紋』は『=感情の動き』です。聖杯は『心』と『感情』を表わすスートです。
心・感情と言ってもそこにはさまざまなものがあります。喜・怒・哀・楽などと言いますが、聖杯のスートはその中でも喜と楽…よろこび・楽しみなど、良き側面を扱っていると言えるでしょう。ちなみに怒は棒が、哀は剣が扱っているようにわたしには思えます。
そのわけは、喜や楽は心にとってすんなりと受け入れられる…カップの性質が生かされる…のに対し、怒や哀は容易に受け入れられず(カップの性質は使えない)、反発を伴った行為として表れざるを得ない(棒や剣を使うことになる)からではないかとわたしは考えています。
*-*-*-*-*-*-*
実占において聖杯のスートは単純に『心の状態』と見ることが多いです。例えば恋愛のことを見るのに聖杯のスートが少なく剣や棒が多いと、お互いの関係性がどうかとか、進展度ばかりに焦点があたっていて、恋愛そのものの滋味である情緒を楽しめていない状態だなと思います。
逆に事業や仕事に関して聖杯が多くを占め剣や棒が少ないと、楽しんで取り組めたり心地よい職場ではあるけれども、本来の目的に沿った建設的な取り組みがされていなかったり、緊張感がなくだらけている雰囲気だなと感じます。
聖杯のスートは音楽や美術などの芸術性も表わします。芸術とは、人間の心がよろこぶこと…快・楽・美…を追究する術です。そこには混沌としたものも含まれます。キラキラした美もあればくすんで歪んだ美もあります。柔らかく心地よい快もあれば、するどく勢いのある激しい快もあります。よろこびいっぱいの楽しさもあれば、緊張感とスリルを味わう楽しさもあります。『水』・『心』は、それが引き受け得るものならばあらゆるものを飲み込みます。
*-*-*-*-*-*-*
聖杯のスートで表わされる人柄は、人当たりが柔らかくて親切。好意に満ち、優しく、嫌味でない自然なオシャレが上手なので、顔立ちやスタイルはどうあれおのずと異性のハートを掴むことが多いでしょう。
異性と接したり異性に好かれることが好きで、普通にしていてもなぜか色気を感じさせるタイプです。恋愛や芸術が生きがいとなりやすく、思いを遂げるためには他のものを投げ打つことも辞しません。周りの人の感情を巻き込むドラマティックな事態を起こしやすい傾向があります。
ただし日常生活においては八方美人的で、厳しい状況に直面するのを嫌ったり避けたりする平和主義者です。彼らはスマートで美しくカッコよくありたいし、人に好かれる「いい人」でありたいし、またいつまでも自由な恋愛を楽しみたいと思っています。人に嫌われたくないので、はっきりノーと言わなければならない状況からはあらかじめ逃げようとします。このような傾向が悪く表れると、人の言うことに容易に同意し口あたりの良いことばかり言う、責任をとらない・けじめのない人物像が浮かび上がってきます。
その反面、彼らの好みは実にはっきりしていて価値基準が揺らぎません。人に「ノー」をつきつける強さは持っていませんが、心の中ではしっかり答えが定まっています。その基準は『好きか・嫌いか』『興味があるか・ないか』です。
彼らは好きなものには興味を持ち、嫌いなものには一顧だにしません。彼らにとっては「良いか悪いか」「正しいか正しくないか」は二の次です。彼らの心を震わせ心地よくさせるものは『好き』で『興味があり』、心が動かないものは関係がありません。彼らが人に見せる態度はたいてい体裁よく調えられていますが、その内側では揺らがない価値基準によって容赦なく「要るもの」と「要らないもの」により分けられ、「要らないもの」はあっさり無視されていることがほとんどです。彼らが怒ったり争ったりしないのは、元々自分が要らないものとはマトモに付き合わないと決めているからです。
その代わり彼らは愛を感じるもの、好きなもの、興味があるものにはとことん情熱を注ぎ込み、心底陶酔します。人が何を言おうと、どんなに他から批判されようと、彼らの気持ちを変えることは出来ません。好きなものは好き、愛しているものは愛さずにはおれないのです。たとえそれが邪悪で害をなすものであってもそんなことは愛を妨げる理由にはなりません。
その法則は逆にも成り立ちます。どんなに他人が誉めている、人気がある評判の良いものでも、自分が「良くない・嫌い」と感じれば見向きもしません。それはまさしく『愛』の本来の・純粋な形といえると思います。聖杯の要素の強い人はそれだけ『愛』を純粋な形で享受できる人たちなのでしょう。
*-*-*-*-*-*-*
さて、聖杯の1から10までのカードを見比べていただきたいと思います。
前回の棒のスートでは、棒の性質が好ましい形で現われていたのは『6』まででした。7以降は少し圧迫感を感じるしんどそうな絵柄になっていました。
聖杯の場合はどうでしょう。『4』『5』『8』の絵に描かれている人が比較的憂鬱そうです。剣や棒は数字が大きくなるに従って圧迫感が強くなっていきましたが、聖杯の場合は単純なグラデーションになっていません。
これはそれぞれの「スートの性質」と「数字の性質」に拠っています。
『4』は最も安定した数字で固定的であることを表わします。棒が示す「活力・エネルギー・行動」が「安定的」であることは、比較的喜ばしい状態と言えるでしょう。安定化・固定化しても大丈夫なのは現状が好ましいからだと言えます。もし好ましくなければ棒の性質からして自発的な行動により活発化せざるを得ません。
それに対し聖杯が示す『水』…心や感情はどうでしょう。先ほども述べたように『水』は動かなければ腐ってしまいます。心も感情も刺激されることがなければ退屈や倦怠に陥ってしまいます。聖杯4の人物は腕組をして眼を閉じ、何かを考え込んでいるようにも眠っているようにも見えますね。
『5』では失望し落胆した人物が描かれています。『5』は安定していたバランスが崩れる数字です。何かが多すぎたり少なすぎたりしたのでしょう。バランスが崩れて杯が3つ倒れてしまいました。『5』はどのスートにおいてもバランスが崩れる・乱れていることを表わします。
以下は参考までに4つのスートそれぞれの『5』のカードです。
聖杯の『8』はどうでしょう。『8』は『4』の2倍です。聖杯の『4』の意味をシンプルに発展させれば、『退屈や倦怠』が倍になって我慢できなくなりどこか別のところへ立ち去ってしまう、と考えられそうです。
また別の見方をすれば、『水』は形のないものです。形があれば安定したものを積み上げることが出来ますが、『水』を積み上げるのは困難です。わたし個人は『8』を「努力によるレベルアップ」の数字と捉えていますが『心や感情』を努力によってレベルアップすることはとても難しいことです。ですから聖杯の『8』はレベルアップを目前に放棄する・諦める、という意味にも読んでいます。
ちなみに『形あるもの』の代表、金貨の『8』はこれです。
まさに『努力によってレベルアップ』そのもののカードです。
棒や剣のスートで苦しそうだった『9』『10』のカードについては、聖杯では満足感やしあわせの印象を与えます。たくさんあればよろこばしい・たくさんあると良くない、という観点で各スートを眺めると、その性質が面白いように浮き上がってきます。
*-*-*-*-*-*-*
聖杯のスートについて、以下にわたし自身が採用している解釈を簡単に記します。
【聖杯1】心が動く。愛を感じる。気持ちが通じる。
【聖杯2】二つの心が感じあう。相手を意識する。
【聖杯3】みんなで楽しむ、みんなで喜ぶ。公の喜びごと。楽しい集まり。第三者の存在がクローズアップされる。
【聖杯4】心が動かない。退屈と倦怠。下手な考え。鈍い。簡単なことに気づかない。
【聖杯5】失望。失敗。心が過失にとらわれる。
【聖杯6】穏やかだがみずみずしい感情。幼い頃の思い出。子供に対する気持ち。
【聖杯7】夢と妄想。迷い。あてのない理想と希望。
【聖杯8】心変わり。現状に対するあきらめ。今よりもっとよいものを探そうとする。
【聖杯9】満足。物質的に満たされる。楽しめる。飲食。
【聖杯10】しあわせの共有。家族のしあわせ。
*-*-*-*-*-*-*
ところで『聖杯』とはその名の通り、ただのコップではありません。
聖杯1のカードを見ると、光輝く金色の杯からまるで噴水のように水がほとばしり、白い鳩が聖餐儀式につかわれる聖体のパン(丸に十字のウエファース)をくわえて来ています。
キリスト教会で行われるミサでは、パンとワインがキリストの肉と血に変わり、それを皆が分かち合うという意味を持つ儀式が行われます。このカードに描かれている杯はその『聖なる杯』です。
この杯からあふれる水はキリストの犠牲によって湧き出でた『無私の愛』の象徴であり、この愛を受ける『心=杯』はまさしく聖なる器です。
「神」や「愛」という言葉やその意味するものは簡単に言い表すことは出来ません。それは混じりけのない澄んだ透明のものでもありえるし、あらゆるものが混沌と交じり合った濃密な毒でもあり得ます。
わたしたちが自分のうちにひとつずつ持っている『心』という聖杯は、自分次第でどんなものを入れることも出来ます。その意味と意義を感じながら聖杯のカードを味わうのはとても素敵なことですね。
そしてこんなに小さなひとつの杯が、考え方によっては宇宙をいくつも飲み込めるくらい、限りない容量を持ち得るのだと想像するのはとても楽しいことだと思います。
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