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大阪の占い師 サワツ純子 のタロットブログです。たまに理屈っぽい日常のああだこうだも入っています。
長文OK・お暇な方のみお読み下さいませ。(・∀・)サワツ純子
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しあわせとは欲しいものを手に入れることではない、と先の号で書いたのですが…では、しあわせとは一体何なんでしょうね。
いずれにせよ心が満足している状態であることは間違いなさそうです。
どうすれば心が満足するのでしょう?
欲しいものを手に入れると満足しますよね。欲しいものと言っても色々ありますが…
欲しいものを手に入れると、まずその手に入れたモノが自分を満足させてくれます。それから、手に入れるのに苦労したときは、その苦労を乗り越えて手に入れた!という満足感がプラスされるでしょう。もし誰かからプレゼントされたのなら喜びもひとしおですね。その時は贈ってくれた人の気持ち、愛をも受け取ることになります。贈り主への感謝や、欲しいものが手に入った幸運をよろこぶ気持ちも心をしあわせでいっぱいにしてくれるでしょう。
欲しいものを手に入れるとしあわせなのは、このようにモノ自体に心が満足を感じたり、そのモノを手に入れた経緯に関して満足を感じたりするのですね。
では、せっかく欲しいものを手に入れたのにしあわせを感じない、しあわせが長続きしない場合はどのようなことが考えられるでしょうか。
手に入れてみたら思ったより良くなかった、期待はずれだった(価値が半減した)…最初は嬉しかったけどすぐに慣れて嬉しさが薄れてしまった(愛着が薄れてしまった、思ったより心が深く喜ばなかったなど)。。。そのモノに対する愛や価値が薄れてしまったり、苦労せず簡単に手に入れたために愛着が薄かったりすると、満足が長続きしにくいものです。人は自分にとって価値あるものに愛着を抱きます。心の満足は「愛・愛着」がもたらすものなのです。
*-*-*-*-*-*-*
モノや人、地位などを手に入れるとしあわせを感じるのは、そこに愛・愛着が介在している時です。愛が介在しているからこそ手に入れてしあわせを感じるのです。
だから、次から次へとモノを欲しがり手に入れたとしても、それは必ずしも幸せに結びつきません。一般的に人は、手に入れ難いものを苦労して手に入れた時、そのモノに対する愛情が高まります。苦労した分だけ満足は深く、しあわせは長く続き、手に入れたそれはかけがえの無いものと感じられるでしょう。
反対に、簡単に多くのモノを手に入れられる時、人はモノに強い愛着を抱かなくなります。愛着が薄いと満足感が充分に得られません。しあわせは長続きせず、その結果、却って次から次へと新しいモノを欲しがることになります。この程度では満足できないとばかり自分に相応しくないものや、高い代償が必要なものをも欲しがります。けれどそのようなものは、おそらく自分の本質に合っていない可能性が高いでしょう。
*-*-*-*-*-*-*
人は単にモノや人・地位やお金が必要なのではなく、そこに介在している何らかの愛や価値で心を満足させているのです。モノや人は色んな欲求を満たしてくれるでしょう。食欲や物欲や性欲や安全に関する欲求など…それらはみな人にとって必要なものです。しかし人がしあわせを感じる時というのは、実はその欲求が満たされたことの幸運や感謝の気持ち、愛や価値によって心が満足している時なのです。
わたしはしあわせをこう定義づけます。
これを読んだ方の中には「そんな風に物事を細かく区分けして考えて何の役に立つのか」と感じる方もいらっしゃるかも知れません。どっちにしろ何かを手に入れた満足がしあわせな状態を作り出すのなら、そんな分析など必要ないじゃないか。人はとにかく欲しいものを手にいれていればいいんじゃないか、と思われるかも知れません。
わたしが殊更にこういう細かいことを書くのにはワケがあります。
それは、しあわせをこのような言葉で定義づけることによって、しあわせの世界がぐっと広がるからです。今、自分をしあわせと感じていない人も、不満や不安でいっぱいの人も、自分はしあわせなんだ、と思えるかも知れません。青い鳥はほんとうに「今の」自分のそばにいたんだ、と気づくかも知れません。
しあわせの形はとてもたくさんあるのです。
お金があるとか、地位が高いとか、家庭があるとかないとか、運がいいとか悪いとか、そんな二者択一の基準におさまっているものではないのです。しあわせになるためにはあとコレとコレが必要だ、というようなものではないのです。
*-*-*-*-*-*-*
しあわせが、愛や価値によって得られるものならば、出来るだけ多くのものごとや状況に意味を見出し、価値を付与し、愛を感じ取ればよいのです。今持っていないことを嘆いたり焦ったりするより先に、今あなたが現に持っているもの、与えられている状況に意味と価値を見出すのです。例えばあなたが「自分は不遇だ、不幸だ」と思っていることの中にも。傷ついた思い出や、今直面している困難な状況の中にも。
わたし自身の経験や、また、人類が築き積み上げてきた知恵や歴史から学びえることから言ってもむしろ、厳しい状況の中にこそ、滋味のある深い価値・経験した者にしか受け取ることができない特別の意味が隠されています。これらは見出されにくいものです。しかし見出した者には特別の「愛」がもたらされます。身近な例を素直に見てみてください。昔話や童話、映画やテレビドラマ、マンガや小説などすべてそうではないですか?困難な状況の中に意味を見出し、それを力にして新しい何かを得る。多くの場合、さらなる愛や価値を。その愛や価値の具体的な形は、富や栄誉や恋人であるかも知れません。しかしそれは物事や人という形をしたモノではなくて、愛や価値を手に入れたのです。だからこそ物語の中の彼らはしあわせになるのです。
たとえ今のあなたに何か足りないものがあったとしても、今のままのあなたのそばに青い鳥を見つければ、あなたのしあわせは大きくなるでしょう。困難や欠乏の中にも青い鳥はちゃんといます。今のあなたのそばに、いるのです。
いずれにせよ心が満足している状態であることは間違いなさそうです。
どうすれば心が満足するのでしょう?
欲しいものを手に入れると満足しますよね。欲しいものと言っても色々ありますが…
欲しいものを手に入れると、まずその手に入れたモノが自分を満足させてくれます。それから、手に入れるのに苦労したときは、その苦労を乗り越えて手に入れた!という満足感がプラスされるでしょう。もし誰かからプレゼントされたのなら喜びもひとしおですね。その時は贈ってくれた人の気持ち、愛をも受け取ることになります。贈り主への感謝や、欲しいものが手に入った幸運をよろこぶ気持ちも心をしあわせでいっぱいにしてくれるでしょう。
欲しいものを手に入れるとしあわせなのは、このようにモノ自体に心が満足を感じたり、そのモノを手に入れた経緯に関して満足を感じたりするのですね。
では、せっかく欲しいものを手に入れたのにしあわせを感じない、しあわせが長続きしない場合はどのようなことが考えられるでしょうか。
手に入れてみたら思ったより良くなかった、期待はずれだった(価値が半減した)…最初は嬉しかったけどすぐに慣れて嬉しさが薄れてしまった(愛着が薄れてしまった、思ったより心が深く喜ばなかったなど)。。。そのモノに対する愛や価値が薄れてしまったり、苦労せず簡単に手に入れたために愛着が薄かったりすると、満足が長続きしにくいものです。人は自分にとって価値あるものに愛着を抱きます。心の満足は「愛・愛着」がもたらすものなのです。
*-*-*-*-*-*-*
モノや人、地位などを手に入れるとしあわせを感じるのは、そこに愛・愛着が介在している時です。愛が介在しているからこそ手に入れてしあわせを感じるのです。
だから、次から次へとモノを欲しがり手に入れたとしても、それは必ずしも幸せに結びつきません。一般的に人は、手に入れ難いものを苦労して手に入れた時、そのモノに対する愛情が高まります。苦労した分だけ満足は深く、しあわせは長く続き、手に入れたそれはかけがえの無いものと感じられるでしょう。
反対に、簡単に多くのモノを手に入れられる時、人はモノに強い愛着を抱かなくなります。愛着が薄いと満足感が充分に得られません。しあわせは長続きせず、その結果、却って次から次へと新しいモノを欲しがることになります。この程度では満足できないとばかり自分に相応しくないものや、高い代償が必要なものをも欲しがります。けれどそのようなものは、おそらく自分の本質に合っていない可能性が高いでしょう。
*-*-*-*-*-*-*
人は単にモノや人・地位やお金が必要なのではなく、そこに介在している何らかの愛や価値で心を満足させているのです。モノや人は色んな欲求を満たしてくれるでしょう。食欲や物欲や性欲や安全に関する欲求など…それらはみな人にとって必要なものです。しかし人がしあわせを感じる時というのは、実はその欲求が満たされたことの幸運や感謝の気持ち、愛や価値によって心が満足している時なのです。
わたしはしあわせをこう定義づけます。
しあわせとは、心が 愛や価値 によって満たされていること。
これを読んだ方の中には「そんな風に物事を細かく区分けして考えて何の役に立つのか」と感じる方もいらっしゃるかも知れません。どっちにしろ何かを手に入れた満足がしあわせな状態を作り出すのなら、そんな分析など必要ないじゃないか。人はとにかく欲しいものを手にいれていればいいんじゃないか、と思われるかも知れません。
わたしが殊更にこういう細かいことを書くのにはワケがあります。
それは、しあわせをこのような言葉で定義づけることによって、しあわせの世界がぐっと広がるからです。今、自分をしあわせと感じていない人も、不満や不安でいっぱいの人も、自分はしあわせなんだ、と思えるかも知れません。青い鳥はほんとうに「今の」自分のそばにいたんだ、と気づくかも知れません。
しあわせの形はとてもたくさんあるのです。
お金があるとか、地位が高いとか、家庭があるとかないとか、運がいいとか悪いとか、そんな二者択一の基準におさまっているものではないのです。しあわせになるためにはあとコレとコレが必要だ、というようなものではないのです。
*-*-*-*-*-*-*
しあわせが、愛や価値によって得られるものならば、出来るだけ多くのものごとや状況に意味を見出し、価値を付与し、愛を感じ取ればよいのです。今持っていないことを嘆いたり焦ったりするより先に、今あなたが現に持っているもの、与えられている状況に意味と価値を見出すのです。例えばあなたが「自分は不遇だ、不幸だ」と思っていることの中にも。傷ついた思い出や、今直面している困難な状況の中にも。
わたし自身の経験や、また、人類が築き積み上げてきた知恵や歴史から学びえることから言ってもむしろ、厳しい状況の中にこそ、滋味のある深い価値・経験した者にしか受け取ることができない特別の意味が隠されています。これらは見出されにくいものです。しかし見出した者には特別の「愛」がもたらされます。身近な例を素直に見てみてください。昔話や童話、映画やテレビドラマ、マンガや小説などすべてそうではないですか?困難な状況の中に意味を見出し、それを力にして新しい何かを得る。多くの場合、さらなる愛や価値を。その愛や価値の具体的な形は、富や栄誉や恋人であるかも知れません。しかしそれは物事や人という形をしたモノではなくて、愛や価値を手に入れたのです。だからこそ物語の中の彼らはしあわせになるのです。
たとえ今のあなたに何か足りないものがあったとしても、今のままのあなたのそばに青い鳥を見つければ、あなたのしあわせは大きくなるでしょう。困難や欠乏の中にも青い鳥はちゃんといます。今のあなたのそばに、いるのです。
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