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大阪の占い師 サワツ純子 のタロットブログです。たまに理屈っぽい日常のああだこうだも入っています。
長文OK・お暇な方のみお読み下さいませ。(・∀・)サワツ純子
※各ブログ記事へのインデックスを作ってみました。良ければご利用ください※
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興味のある方はどうぞお越しくださいませ。
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しあわせとは、欲しいと思ったものを手に入れることではありません。
欲しいと思ったものが手に入ったらしあわせです。
でも、しあわせとは欲しいものを手に入れること、ではないのです。
昔むかし、こんなCMがあったのをご存知でしょうか。
これと同じような理屈です。
*-*-*-*-*-*-*
わたしのお友達に、とてもとてもお金に苦労している人がいました。
いつも百万単位の支払いに追われていて、それを支払い続けるために働かなければならない。事業を営んでいる人でしたが、扱うお金は大きくてもそれは自分のものではなく、辞めたくてもお金が残らないので辞められない。馬車馬のように働いて、彼女はいつも嘆いていました。
ああ、この問題が一気に片付くだけのお金があったらなぁ。充分なお金があったら借金をすべて片付けて、悠々自適に暮らしたいわ。でもきっとわたしは死ぬまでこんな風にお金に追い回されて働き続けるのねぇ。。
ところがある時、奇跡のようなことが起こりました。
すごくお金持ちの男性と知り合って、その人と結婚を前提におつきあいすることになったのです。
借金も全部片付け、経営していたお店からも身を引いて、何不自由なく暮らせるようになりました。欲しいものがあれば車でもマンションでも思いのまま。高級装飾品、美容整形、贅沢なご馳走、長期間のホテル暮らし、たいていの贅沢が気兼ねなく味わえる結構な身分となりました。彼女はさぞやご満悦……と思っていたのですが。。
しばらく無沙汰していた彼女から連絡があったとき、彼女はうつ病になりかけていました。
贅沢しても全然嬉しくないし、おもしろくない。海外旅行も高価な買い物も、やろうと思うとなんでも出来てしまう。何でもできると思うと何をやってもたいして面白くない。ふーん、と思うだけ。今ではわたしはユニクロの上下を着てネットで一日中株をやってるだけ。株をやって儲かっても使い道がないから意味がない。意味がないことばかりで生きていても死んでいても同じとしか思えない。何もやる気が起きないから寝てばかりいる。寝てばかりなので夜まったく眠れない。。
わたしは正直、なんと贅沢な、と思いましたし、これを読んだ方の感想も同様だと思います。怒りを感じる方も少なからずいらっしゃるでしょう。わたしはその時大変貧乏でしたから「じゃあちょっと100万円くらいくれない?」という言葉が喉から出掛かっていましたが、ちっとも冗談に聞こえないだろうと思い至ってすんでのところでおさめました。
もしもわたしがそんな大金を手に入れたら、やりたいことは山ほどあります。海外旅行をいっぱいして世界の秘境なども見て回りたいとか、何か社会の役に立つような事業に投資したり、贅沢な服や装飾品を身に着けて美しく装ったり…家も建て替えて心地よく暮らしたいです。さぞや毎日が楽しいだろうと思います。
しかし、それがずっと続けば実際どうなるだろうと考えると、いつまでも楽しいままではいられないのかも知れません。世界旅行でたくさんの良い経験をしたり知識を得たりしても、それをどこにどうやって活かそう?と思うとわかりません。自分の好奇心を満たすためだけにただ旅行を続けるなんて長く続かないような気がします。社会事業に投資をするとしても、その投資がどのように活かされているかに気を配り続けることなどできず、いずれやめてしまうような気がします。贅沢に美しく装ったとしても一体それを身に着けてどこに行くのでしょう?わたしは生来、社交が苦手なタイプなのです。もしも自分がセレブとして認められたとしても、そんな世界で嬉々として生きていけるとは思えません。充分なお金が手に入ったらしばらくはそれを楽しむかも知れませんが、その時期が過ぎたあとはやっぱり彼女のように生きる意欲をなくしてしまうような気がします。
これを読んでいるみなさんはどうでしょうか。おそらく、思いつく限りの贅沢をして、愛する家族やお友達に出来る限り良くしてあげることを考えるのではないでしょうか。でもその先……あなたのお金であなたの周りの人たちの面倒をずっと見てあげるのでしょうか?それでその人たちのしあわせが保証されるでしょうか。かえって、おかしなことになってしまわないでしょうか。彼らはいつまで本心でよろこんでくれるでしょう。安易にお金をたかられるようになったらあなたはどう思うでしょうか。
お金が手に入ったことは、彼女にとって大きなしあわせだったはず。それは確かです。一生続くかと思った借金は解消されました。悠々自適の生活も手に入れました。確かに彼女の人生から苦痛がひとつ減ったのです。
しかし、彼女にとってのしあわせとはお金が手に入ること、ではなかったのです。もし彼女にとってのしあわせがお金を手にいれることだったら、彼女は死にたくなんてならなかったでしょう。
それではつまるところ、彼女にとってしあわせとは一体何だったのでしょう。
実は、それはまだはっきりしていません。
ただ言えることは、今、彼女のそばに伴侶がいるということ、今誰かと一緒に生きているということ、この時間をすごすことが今、彼女のしあわせを一瞬一瞬形作っているはずだということです。
彼女の伴侶は30歳ちかく年上で、どちらかというと愛で結ばれた関係ではないのですが、鬱状態を脱して今彼女は少し満足そうです。お金は潤沢にあるようですが、相変わらず贅沢はしないでつつましく暮らしているそうです。彼女は、働きたい働きたいと言っています。あんなに働くのを嫌がっていたのに、どういうことなんでしょうね?
このことについて、皆さんもぜひ、考えてみてください。
※懐かしのCM
欲しいと思ったものが手に入ったらしあわせです。
でも、しあわせとは欲しいものを手に入れること、ではないのです。
昔むかし、こんなCMがあったのをご存知でしょうか。
100円で、カルビーポテトチップスは買えますが、
カルビーポテトチップスで、100円は、買えません。
悪しからず。
カルビーポテトチップスで、100円は、買えません。
悪しからず。
これと同じような理屈です。
*-*-*-*-*-*-*
わたしのお友達に、とてもとてもお金に苦労している人がいました。
いつも百万単位の支払いに追われていて、それを支払い続けるために働かなければならない。事業を営んでいる人でしたが、扱うお金は大きくてもそれは自分のものではなく、辞めたくてもお金が残らないので辞められない。馬車馬のように働いて、彼女はいつも嘆いていました。
ああ、この問題が一気に片付くだけのお金があったらなぁ。充分なお金があったら借金をすべて片付けて、悠々自適に暮らしたいわ。でもきっとわたしは死ぬまでこんな風にお金に追い回されて働き続けるのねぇ。。
ところがある時、奇跡のようなことが起こりました。
すごくお金持ちの男性と知り合って、その人と結婚を前提におつきあいすることになったのです。
借金も全部片付け、経営していたお店からも身を引いて、何不自由なく暮らせるようになりました。欲しいものがあれば車でもマンションでも思いのまま。高級装飾品、美容整形、贅沢なご馳走、長期間のホテル暮らし、たいていの贅沢が気兼ねなく味わえる結構な身分となりました。彼女はさぞやご満悦……と思っていたのですが。。
しばらく無沙汰していた彼女から連絡があったとき、彼女はうつ病になりかけていました。
贅沢しても全然嬉しくないし、おもしろくない。海外旅行も高価な買い物も、やろうと思うとなんでも出来てしまう。何でもできると思うと何をやってもたいして面白くない。ふーん、と思うだけ。今ではわたしはユニクロの上下を着てネットで一日中株をやってるだけ。株をやって儲かっても使い道がないから意味がない。意味がないことばかりで生きていても死んでいても同じとしか思えない。何もやる気が起きないから寝てばかりいる。寝てばかりなので夜まったく眠れない。。
わたしは正直、なんと贅沢な、と思いましたし、これを読んだ方の感想も同様だと思います。怒りを感じる方も少なからずいらっしゃるでしょう。わたしはその時大変貧乏でしたから「じゃあちょっと100万円くらいくれない?」という言葉が喉から出掛かっていましたが、ちっとも冗談に聞こえないだろうと思い至ってすんでのところでおさめました。
もしもわたしがそんな大金を手に入れたら、やりたいことは山ほどあります。海外旅行をいっぱいして世界の秘境なども見て回りたいとか、何か社会の役に立つような事業に投資したり、贅沢な服や装飾品を身に着けて美しく装ったり…家も建て替えて心地よく暮らしたいです。さぞや毎日が楽しいだろうと思います。
しかし、それがずっと続けば実際どうなるだろうと考えると、いつまでも楽しいままではいられないのかも知れません。世界旅行でたくさんの良い経験をしたり知識を得たりしても、それをどこにどうやって活かそう?と思うとわかりません。自分の好奇心を満たすためだけにただ旅行を続けるなんて長く続かないような気がします。社会事業に投資をするとしても、その投資がどのように活かされているかに気を配り続けることなどできず、いずれやめてしまうような気がします。贅沢に美しく装ったとしても一体それを身に着けてどこに行くのでしょう?わたしは生来、社交が苦手なタイプなのです。もしも自分がセレブとして認められたとしても、そんな世界で嬉々として生きていけるとは思えません。充分なお金が手に入ったらしばらくはそれを楽しむかも知れませんが、その時期が過ぎたあとはやっぱり彼女のように生きる意欲をなくしてしまうような気がします。
これを読んでいるみなさんはどうでしょうか。おそらく、思いつく限りの贅沢をして、愛する家族やお友達に出来る限り良くしてあげることを考えるのではないでしょうか。でもその先……あなたのお金であなたの周りの人たちの面倒をずっと見てあげるのでしょうか?それでその人たちのしあわせが保証されるでしょうか。かえって、おかしなことになってしまわないでしょうか。彼らはいつまで本心でよろこんでくれるでしょう。安易にお金をたかられるようになったらあなたはどう思うでしょうか。
お金が手に入ったことは、彼女にとって大きなしあわせだったはず。それは確かです。一生続くかと思った借金は解消されました。悠々自適の生活も手に入れました。確かに彼女の人生から苦痛がひとつ減ったのです。
しかし、彼女にとってのしあわせとはお金が手に入ること、ではなかったのです。もし彼女にとってのしあわせがお金を手にいれることだったら、彼女は死にたくなんてならなかったでしょう。
それではつまるところ、彼女にとってしあわせとは一体何だったのでしょう。
実は、それはまだはっきりしていません。
ただ言えることは、今、彼女のそばに伴侶がいるということ、今誰かと一緒に生きているということ、この時間をすごすことが今、彼女のしあわせを一瞬一瞬形作っているはずだということです。
彼女の伴侶は30歳ちかく年上で、どちらかというと愛で結ばれた関係ではないのですが、鬱状態を脱して今彼女は少し満足そうです。お金は潤沢にあるようですが、相変わらず贅沢はしないでつつましく暮らしているそうです。彼女は、働きたい働きたいと言っています。あんなに働くのを嫌がっていたのに、どういうことなんでしょうね?
欲しいものを手に入れることはしあわせである。しかし
しあわせとは、欲しいものを手に入れることではない。
しあわせとは、欲しいものを手に入れることではない。
このことについて、皆さんもぜひ、考えてみてください。
※懐かしのCM
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