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大阪の占い師 サワツ純子 のタロットブログです。たまに理屈っぽい日常のああだこうだも入っています。
長文OK・お暇な方のみお読み下さいませ。(・∀・)サワツ純子
※各ブログ記事へのインデックスを作ってみました。良ければご利用ください※
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興味のある方はどうぞお越しくださいませ。
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こんばんわ。ヒタチです。日曜の夜です。
どうにも時間がとれず、今回もタロット記事はおやすみです。
最近たびたびおやすみするので、タロット記事以外の回にはタイトルの頭に【雑記】と記しておくことにします。
今回は、タロットとはまったく関係がありませんが、最近ネットで見て感動したお話をご紹介します。
といっても、有名な話かも知れません。テレビ番組『奇跡体験!アンビリバボー』でも2003年に紹介されていたようです。
100年以上も前に、トルコ共和国と日本の間にあった、たいへん心あたたまる物語です。
絵物語 エルトゥールル号の遭難
以下は戯言です。お暇な方のみお読み下さい。
*-*-*-*-*-*-*
この物語…といってもほとんど実話ですが、、、311の地震・津波被害に対して全世界中から寄せられたたくさんの好意を、あらためて思い浮かべずにはいられないお話です。
今回は、わたしたち日本は温かい助けを受け取る側でした。そして上記の物語の時にはたまたま救援した側でした。そして今後も、どんな国とでも、わたしたちは助けたり、助けられたりを繰り返しながら、この地球でみんなで共存していくのだなぁと、しみじみと感じました。
『エルトゥールル号の遭難』のお話の中で、特別に心を惹かれたところが何ヶ所かあります。
まず3ページめ。
言語ではない、『シンボル』『絵』が両者の橋渡しをしたこと、そしてそれは『本』という、知識を記録し伝達する「もの」だったということが、わたしには何故だかとても印象的でした。
そこで行われたことは、なんだか「タロットを通じて質問者の心にコンタクトする」のと、とても似ている気がします。わたしがいつもしていることは、日本人同士でのことですが…でも、同じ言語を使う者同士だからといって、無条件に解りあえていると言えるでしょうか?
4ページめ。
同情でも、感情移入でもなく、『同調』とわたしは表現したいです。説明は難しいのですが…国も身分もまったく違う二者の「わたし」と「あなた」が、別物でありながら重なり合って感応しているさまが思い浮かびます。この深い『同調』は、なぜ可能だったのでしょう。わたしたちが今、311の地震・津波の被害者の方たちに寄せる気持ちは、この村の男たちが突き動かされたのとまったく同じような質のものでしょうか?
5ページめ。
でも今、多くの人びとが簡単に口にする『信じる』という行為を、ほんとうに知っている人は少ないのではないか?とわたしは思っています。『信じる』とは?
たいていの人は証拠がなければ信じません。でも、ほんとうに信じる、とは、証拠がなくても信じることです。あなたは恋人を信じていますか?友達を信じていますか?ご両親はどうですか?自分自身を信じていますか?
「お天とうさまが、守ってくださるよ」の中には、「信じる」という行為のエッセンスがあります。何も宗教的になる必要はありません。この時の、大島の人びとと「お天とうさま」の間に何か契約があったでしょうか?期待や見返りは?それらがなかったとしたら、いったい「何が」あったのでしょう。
*-*-*-*-*-*-*
長くなりました。
311から2ヶ月半がたちましたね。わたしは大阪に住んでいます。神戸の地震の時にも直接の被災はしていません。わたしには、災害に関するどんな傷もトラウマもありません。
でも、経験と正しい理解だけが、愛と同調の条件ではありません。わたしは経験がなくても、正しい理解がなくても、311の傷にはやはり気持ちを惹かれずにはおれません。
今日ながながと書いたのは、3月11日以来わたしたちが経験し続けている状況を、よりよく乗り越えるために、上記のようなことを、ちょっと立ち止まって考えてみたいと思ったからです。
異質な考えや価値観をもつ人たちと、どう「コンタクト」できるのか。
同じ人種、同じ立場、同じ経験があれば無条件に「解りあえる」と言えるのか。
ほんとうに役に立つ知識、情報とは、どのようなものだろうか。
同情、感情移入、を超えて「わたし」と「あなた」が重なるような感応力を、わたしたちは失っていないだろうか。
ほんとうに「信じる」ことを、わたしたちは知っているだろうか。どんな時「信じ」、どんな時「信じていない」だろうか。
ずいぶん遅れてやってきた原発の実情に関する情報、とびかい続けている流言飛語、ジャーナリズムや政財界の姿勢、わたしたち自身の揺れる心…
なんとか明るくて温かい方向を目指して行きたいものです。
*-*-*-*-*-*-*
ほんとに長くなりました。日付が変わってしまった。。
今後とも当ブログをよろしくお願いします。
どうにも時間がとれず、今回もタロット記事はおやすみです。
最近たびたびおやすみするので、タロット記事以外の回にはタイトルの頭に【雑記】と記しておくことにします。
今回は、タロットとはまったく関係がありませんが、最近ネットで見て感動したお話をご紹介します。
といっても、有名な話かも知れません。テレビ番組『奇跡体験!アンビリバボー』でも2003年に紹介されていたようです。
100年以上も前に、トルコ共和国と日本の間にあった、たいへん心あたたまる物語です。
絵物語 エルトゥールル号の遭難
以下は戯言です。お暇な方のみお読み下さい。
*-*-*-*-*-*-*
この物語…といってもほとんど実話ですが、、、311の地震・津波被害に対して全世界中から寄せられたたくさんの好意を、あらためて思い浮かべずにはいられないお話です。
今回は、わたしたち日本は温かい助けを受け取る側でした。そして上記の物語の時にはたまたま救援した側でした。そして今後も、どんな国とでも、わたしたちは助けたり、助けられたりを繰り返しながら、この地球でみんなで共存していくのだなぁと、しみじみと感じました。
『エルトゥールル号の遭難』のお話の中で、特別に心を惹かれたところが何ヶ所かあります。
まず3ページめ。
「言葉が通じなかった。それで「万国信号書」を見せて、初めてこの人はトルコ人であること、船はトルコ軍艦であることを知った。」大島という和歌山県南端の島で、言葉が通じない外国人の遭難者と意志の疎通ができたのは、世界の国々の国旗が載っている『本』によってでした。
言語ではない、『シンボル』『絵』が両者の橋渡しをしたこと、そしてそれは『本』という、知識を記録し伝達する「もの」だったということが、わたしには何故だかとても印象的でした。
そこで行われたことは、なんだか「タロットを通じて質問者の心にコンタクトする」のと、とても似ている気がします。わたしがいつもしていることは、日本人同士でのことですが…でも、同じ言語を使う者同士だからといって、無条件に解りあえていると言えるでしょうか?
4ページめ。
村の男たちは泣いた。遠い外国から来て、日本で死んでいく。男たちは胸が張っ裂けそうになった。遭難者たちに対する、この深い『同調』は、いったいどうでしょう!
同情でも、感情移入でもなく、『同調』とわたしは表現したいです。説明は難しいのですが…国も身分もまったく違う二者の「わたし」と「あなた」が、別物でありながら重なり合って感応しているさまが思い浮かびます。この深い『同調』は、なぜ可能だったのでしょう。わたしたちが今、311の地震・津波の被害者の方たちに寄せる気持ちは、この村の男たちが突き動かされたのとまったく同じような質のものでしょうか?
5ページめ。
「でも、これを食べてしまったら……」わたしはこのくだりを、今たくさんの人びとに伝えたいと思いました。やはり説明は難しいですが…。
「お天とうさまが、守ってくださるよ」
でも今、多くの人びとが簡単に口にする『信じる』という行為を、ほんとうに知っている人は少ないのではないか?とわたしは思っています。『信じる』とは?
たいていの人は証拠がなければ信じません。でも、ほんとうに信じる、とは、証拠がなくても信じることです。あなたは恋人を信じていますか?友達を信じていますか?ご両親はどうですか?自分自身を信じていますか?
「お天とうさまが、守ってくださるよ」の中には、「信じる」という行為のエッセンスがあります。何も宗教的になる必要はありません。この時の、大島の人びとと「お天とうさま」の間に何か契約があったでしょうか?期待や見返りは?それらがなかったとしたら、いったい「何が」あったのでしょう。
*-*-*-*-*-*-*
長くなりました。
311から2ヶ月半がたちましたね。わたしは大阪に住んでいます。神戸の地震の時にも直接の被災はしていません。わたしには、災害に関するどんな傷もトラウマもありません。
でも、経験と正しい理解だけが、愛と同調の条件ではありません。わたしは経験がなくても、正しい理解がなくても、311の傷にはやはり気持ちを惹かれずにはおれません。
今日ながながと書いたのは、3月11日以来わたしたちが経験し続けている状況を、よりよく乗り越えるために、上記のようなことを、ちょっと立ち止まって考えてみたいと思ったからです。
異質な考えや価値観をもつ人たちと、どう「コンタクト」できるのか。
同じ人種、同じ立場、同じ経験があれば無条件に「解りあえる」と言えるのか。
ほんとうに役に立つ知識、情報とは、どのようなものだろうか。
同情、感情移入、を超えて「わたし」と「あなた」が重なるような感応力を、わたしたちは失っていないだろうか。
ほんとうに「信じる」ことを、わたしたちは知っているだろうか。どんな時「信じ」、どんな時「信じていない」だろうか。
ずいぶん遅れてやってきた原発の実情に関する情報、とびかい続けている流言飛語、ジャーナリズムや政財界の姿勢、わたしたち自身の揺れる心…
なんとか明るくて温かい方向を目指して行きたいものです。
*-*-*-*-*-*-*
ほんとに長くなりました。日付が変わってしまった。。
今後とも当ブログをよろしくお願いします。
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