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大阪の占い師 サワツ純子 のタロットブログです。たまに理屈っぽい日常のああだこうだも入っています。
長文OK・お暇な方のみお読み下さいませ。(・∀・)サワツ純子
※各ブログ記事へのインデックスを作ってみました。良ければご利用ください※
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興味のある方はどうぞお越しくださいませ。
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前までの記事では、しあわせとは、ということについて延々と書いていました。
自分で読み返してみて、あまりわかりやすい文章ではなかったな、と少々恥ずかしい気持ちがします。。今後機会があれば、前回までの記事をもっと整理された文章にまとめたいものだと思っています。
今回からしばらくは、占いについて書いて行こうと思います。やっぱり整理された良い文章で書くことが出来ないかも知れませんが、お付き合いいただければ嬉しいです。
*-*-*-*-*-*-*
みなさんにとって占いって、どういうものなのでしょうか。
おそらく、みなさんにとって占いとは『未来予知』あるいは『透視』など超能力の部類に入るような力だと思っておられるのではないかと思います。
例えば「今後○○の件についてどうなるか」「成功するか失敗するか」「○○さんの気持ちはどうか」「今、○○はどういう状態か」…これすべて、現在目の前にないものの状態を推測し、当てる行為です。普通で考えればそんな見も知らない赤の他人のことなど分かるわけがありません。こんなことが目に見えるように分かるのだとしたら、それはまさしく超能力です。
しかし、わたしたち占い師のほとんどは、超能力や霊能力があるわけではありません。きっと、本当に超能力や霊能力を持っている方もどこかにおられるのだと思いますが、少なくともわたしにはそのような能力はありません。
では、占い師はどのようにしてご相談者さまからの質問に答えるのでしょう。
わたしの場合・わたしの考え方・世界観をこれから書いてみたいと思います。先輩占い師の方々からすれば「間違っている」と思われることも含まれるかも知れませんが、変人占い師のたわごとと思って聞き流していただければ幸いです。
*-*-*-*-*-*-*
タロットならばカードの絵柄や数字などが示す象徴を読み、質問の内容と照らし合わせて答えを導きます。
易では8つの自然の象徴からなる卦を使います。周易・易経という中国の古い書物の教えから示唆を受けて、質問の答えを出していきます。
西洋占星術では惑星を使います。読む材料は個人の生年月日や出生地からホロスコープを割り出したもので、そこから先はやはり象徴を呼んでいく作業に入ります。東洋の占星術である四柱推命も生年月日から割り出した命式を五行という自然の象徴に還元して象意を読んでいきます。ただし四柱推命では統計学的ノウハウがかなり洗練されていて、象徴を読むときの自由度はやや少ない傾向にあるようです。
手相や人相、家相などもごく原始的な象徴の世界と繋がっていると言えるでしょう。手相が切れ切れで勢いがないと良くないとか、クロスが表れると病気やケガをするとか言いますが、これも見た目の状態を何かに例えて判断するわけです。因果関係で判断しているわけではありません。あくまでも象徴的に答えを導き出しています。家相の場合はもっと簡単に、やはり風水や五行などの象徴を利用しています。
このように占いとは物事の因果関係とは関係なく答えを出します。何かを知りたいと思う人がいて、その人の前に表れた象徴でもって答えを出すのです。
では、なぜ象徴を読むことが何らかの質問の答えを出すことになるのでしょうか。
そこには「シンクロニシティ」と、人間の「原始的な心と魂」の世界が関わっています。
*-*-*-*-*-*-*
シンクロニシティという言葉、みなさんも幾度となく耳にしたことがおありでしょう。シンクロニシティとは、ごく簡単に言うと意味のある偶然の一致のことです。
例えば、ある日の夜中に誰かの夢を見て起きたら、ちょうどその頃その人が亡くなっていたとかいうのは典型的なシンクロニシティの事象と言えます。
誰かの噂話をしていたら、その時と前後して偶然にも本人と顔を合わせてしまったとかいうのもそうですね。ずっと会っていない友人のことを考えていたら、突然その人から電話がかかってきたとか…このようなことは誰しも経験していることでしょう。
これらの出来事は、決して因果関係によって起こったことではありません。誰かが死んだからその人の夢を見たわけではありませんし、噂をしたからその本人がやってきたわけでもありません。友人があなたの脳波をキャッチしたから電話をかけてきたのではないのです。
しかしこのようなことが起こったとき、まるでそこには確かな因果関係があるかのような強い意味が発生します。このような一致度の高い偶然の出来事が起こった時、わたしたちの自然な心や感覚は『そこに何かあるんじゃないか?』と思わずにはいられません。もちろん近代科学の基準では「偶然の一致」などには何の意味もなく、根拠のない思い込みとか、単なる偶然とかいう言葉で片付けられます。しかしいくら近代科学が否定しようと『意味のある偶然の一致』は古代から変わらず人の心と魂にとても大きな影響を及ぼし続けているのです。
*-*-*-*-*-*-*
一方「象徴」というのは、原始的なヒトの時代から現在まで連綿と培ってきた『意味』の集合であり、総合であり、エッセンスです。
「象徴」とは単純に言葉で定義される意識的な世界のものではありません。象徴とは、心とか、魂とか、神とか、夢と同じ世界に属するものです。生命と愛を軸にして意味同士が自由につながったり、拡大したり、変化したりします。
たとえば『父』という言葉。
「父」とは自分と血の繋がった男性の親のことを指します。社会的な要素を入れれば、自分を養育し、外敵から守ってくれ、知恵や技術を伝授して生き延びる力を与えてくれる年長の男性のことをも指すでしょう。
この「自分を養育し、外敵から守ってくれ、知恵や技術を伝授して生き延びる力を与えてくれる」という『父』の意味合いが、象徴の世界では『太陽』と結びついたりします。 太陽は熱を与えて生命を育んでくれ、明るい朝を作って夜の危険や外敵を追っ払ってくれます。そしてその光は様々なものを詳細に見て理解することを助けてくれるので知恵や技術の発展と結びつきます。
普通の世界では、父は父であり、太陽は太陽です。父と太陽を混同したり結びつけたりはしません。『父』と『太陽』が結びつくのは人間の原始の心や魂の世界、神と夢の世界においてだけです。
そしてこの『太陽』がたとえば古代の日本などでは『母』の象徴として扱われていたりします。太陽のあたたかさ、養育してくれ守ってくれる要素などは父というよりは母の方がピッタリ来るかも知れません。
一体『太陽』が父と母、どちらの象徴としてふさわしいか、そのようなことを問うのは不必要で無意味です。この原始の心と魂の世界では、色々なものが自由に結びつき、拡大し、変容するのです。例えばわたしたちが夜見る「夢」は、意味の分からないへんてこな内容であることが多いでしょう。なぜならば「夢」もまた原始的な心と魂の世界に属するものだからです。
*-*-*-*-*-*-*
例えばタロットや易などでは質問を問いかけた「時」と「場」のシンクロニシティを使って質問の答に迫ろうとします。占いのために目の前に展開させた象徴を理解し、読み解いて答えを導くのです。
誕生日を使った占いでは、その人が生まれた時間や場所という、特別な「時」と「場」を材料にして象徴を読もうとします。「その人がその時、そこで生まれた」という意味のある一点を「その人の性質や運命」とシンクロさせるわけです。
ですから占いは常に「シンクロニシティ」と「象徴の世界」を扱っています。占い師が意識していようといまいと、占う時にはいつも「宇宙の力」や「原始的な心と魂、夢の世界」に触れているのです。占い師は自分の心や魂を媒介として使いながら働いています。そして占われる人は占い師に自分の心や魂を介在させています。
このように占いは「心と魂の世界」と切っても切れないのです。そしてその世界に左右されます。原始的な心と魂の世界は人の運命や人生に大きく関わり、影響します。
占い行為は古代から人間の間にあり、自然や宇宙の様々な事象を捉えて不安定な未来を生き延びていくため行われてきました。占いの際に表れた現象を象徴的に捉えて何らかの言葉、神の意志といえるものを導いてきたのです。
*-*-*-*-*-*-*
以上のようなことを考えあわせてみると、占いを『未来予知』『透視』等の行為と捉えるのは不適切であると感じられて来ませんか?未来を予知すること、今知らされていないことを覗き見ることは、神や宇宙に対する冒涜・傲慢であり、わたしたちに許されていることはただ、神や宇宙の言葉を受け取ることだけであると思うのです。
わたし個人は、占いを純粋に『神託』であると思っています。わたしは特定の神を信仰しているわけではありませんが、神という存在全般を信じていますし、身近に感じています。
お客様に未来を聞かれる時、わたしは決して『自分が知りえる未来をお教え』しているのではありません。カードや星の象徴を通して言葉を受け取り、それをお伝えしているだけです。
タロットカードというツールも、本来は占いのためにつくられたものではありません。宗教観や社会にあまねく様々なものごとを遊びを通して学び、啓蒙するための道具でした。「遊び」も夢と同じように原始的な心と魂の世界に属しているものです。それが占いのために使われはじめ、こんなにも普及したのも頷けます。
そしてホロスコープさえ、『未来予知』というよりはその人の人生のあらゆる可能性を内包した小宇宙であるという捉え方がクローズアップされています。あらゆる可能性の中からひとつの可能性を選んでゆくことにまつわる作業が、占い行為と通ずるのです。
わたしは占い好きのみなさんに、もっと占いのことを深く、広く、知っていただけたらいいなぁと思っています。
占いに対するミステリアスな期待を少なからず裏切ることになるかも知れませんが、その曖昧模糊としたベールを一枚取り去った時、占いという神託をよりよい形で受け取ることが出来るのだと信じています。
自分で読み返してみて、あまりわかりやすい文章ではなかったな、と少々恥ずかしい気持ちがします。。今後機会があれば、前回までの記事をもっと整理された文章にまとめたいものだと思っています。
今回からしばらくは、占いについて書いて行こうと思います。やっぱり整理された良い文章で書くことが出来ないかも知れませんが、お付き合いいただければ嬉しいです。
*-*-*-*-*-*-*
みなさんにとって占いって、どういうものなのでしょうか。
おそらく、みなさんにとって占いとは『未来予知』あるいは『透視』など超能力の部類に入るような力だと思っておられるのではないかと思います。
例えば「今後○○の件についてどうなるか」「成功するか失敗するか」「○○さんの気持ちはどうか」「今、○○はどういう状態か」…これすべて、現在目の前にないものの状態を推測し、当てる行為です。普通で考えればそんな見も知らない赤の他人のことなど分かるわけがありません。こんなことが目に見えるように分かるのだとしたら、それはまさしく超能力です。
しかし、わたしたち占い師のほとんどは、超能力や霊能力があるわけではありません。きっと、本当に超能力や霊能力を持っている方もどこかにおられるのだと思いますが、少なくともわたしにはそのような能力はありません。
では、占い師はどのようにしてご相談者さまからの質問に答えるのでしょう。
わたしの場合・わたしの考え方・世界観をこれから書いてみたいと思います。先輩占い師の方々からすれば「間違っている」と思われることも含まれるかも知れませんが、変人占い師のたわごとと思って聞き流していただければ幸いです。
*-*-*-*-*-*-*
占いとは、様々な象徴を読んで、答えとなる言葉を引き出す行為です。
タロットならばカードの絵柄や数字などが示す象徴を読み、質問の内容と照らし合わせて答えを導きます。
易では8つの自然の象徴からなる卦を使います。周易・易経という中国の古い書物の教えから示唆を受けて、質問の答えを出していきます。
西洋占星術では惑星を使います。読む材料は個人の生年月日や出生地からホロスコープを割り出したもので、そこから先はやはり象徴を呼んでいく作業に入ります。東洋の占星術である四柱推命も生年月日から割り出した命式を五行という自然の象徴に還元して象意を読んでいきます。ただし四柱推命では統計学的ノウハウがかなり洗練されていて、象徴を読むときの自由度はやや少ない傾向にあるようです。
手相や人相、家相などもごく原始的な象徴の世界と繋がっていると言えるでしょう。手相が切れ切れで勢いがないと良くないとか、クロスが表れると病気やケガをするとか言いますが、これも見た目の状態を何かに例えて判断するわけです。因果関係で判断しているわけではありません。あくまでも象徴的に答えを導き出しています。家相の場合はもっと簡単に、やはり風水や五行などの象徴を利用しています。
このように占いとは物事の因果関係とは関係なく答えを出します。何かを知りたいと思う人がいて、その人の前に表れた象徴でもって答えを出すのです。
では、なぜ象徴を読むことが何らかの質問の答えを出すことになるのでしょうか。
そこには「シンクロニシティ」と、人間の「原始的な心と魂」の世界が関わっています。
*-*-*-*-*-*-*
シンクロニシティという言葉、みなさんも幾度となく耳にしたことがおありでしょう。シンクロニシティとは、ごく簡単に言うと意味のある偶然の一致のことです。
例えば、ある日の夜中に誰かの夢を見て起きたら、ちょうどその頃その人が亡くなっていたとかいうのは典型的なシンクロニシティの事象と言えます。
誰かの噂話をしていたら、その時と前後して偶然にも本人と顔を合わせてしまったとかいうのもそうですね。ずっと会っていない友人のことを考えていたら、突然その人から電話がかかってきたとか…このようなことは誰しも経験していることでしょう。
これらの出来事は、決して因果関係によって起こったことではありません。誰かが死んだからその人の夢を見たわけではありませんし、噂をしたからその本人がやってきたわけでもありません。友人があなたの脳波をキャッチしたから電話をかけてきたのではないのです。
しかしこのようなことが起こったとき、まるでそこには確かな因果関係があるかのような強い意味が発生します。このような一致度の高い偶然の出来事が起こった時、わたしたちの自然な心や感覚は『そこに何かあるんじゃないか?』と思わずにはいられません。もちろん近代科学の基準では「偶然の一致」などには何の意味もなく、根拠のない思い込みとか、単なる偶然とかいう言葉で片付けられます。しかしいくら近代科学が否定しようと『意味のある偶然の一致』は古代から変わらず人の心と魂にとても大きな影響を及ぼし続けているのです。
*-*-*-*-*-*-*
一方「象徴」というのは、原始的なヒトの時代から現在まで連綿と培ってきた『意味』の集合であり、総合であり、エッセンスです。
「象徴」とは単純に言葉で定義される意識的な世界のものではありません。象徴とは、心とか、魂とか、神とか、夢と同じ世界に属するものです。生命と愛を軸にして意味同士が自由につながったり、拡大したり、変化したりします。
たとえば『父』という言葉。
「父」とは自分と血の繋がった男性の親のことを指します。社会的な要素を入れれば、自分を養育し、外敵から守ってくれ、知恵や技術を伝授して生き延びる力を与えてくれる年長の男性のことをも指すでしょう。
この「自分を養育し、外敵から守ってくれ、知恵や技術を伝授して生き延びる力を与えてくれる」という『父』の意味合いが、象徴の世界では『太陽』と結びついたりします。 太陽は熱を与えて生命を育んでくれ、明るい朝を作って夜の危険や外敵を追っ払ってくれます。そしてその光は様々なものを詳細に見て理解することを助けてくれるので知恵や技術の発展と結びつきます。
普通の世界では、父は父であり、太陽は太陽です。父と太陽を混同したり結びつけたりはしません。『父』と『太陽』が結びつくのは人間の原始の心や魂の世界、神と夢の世界においてだけです。
そしてこの『太陽』がたとえば古代の日本などでは『母』の象徴として扱われていたりします。太陽のあたたかさ、養育してくれ守ってくれる要素などは父というよりは母の方がピッタリ来るかも知れません。
一体『太陽』が父と母、どちらの象徴としてふさわしいか、そのようなことを問うのは不必要で無意味です。この原始の心と魂の世界では、色々なものが自由に結びつき、拡大し、変容するのです。例えばわたしたちが夜見る「夢」は、意味の分からないへんてこな内容であることが多いでしょう。なぜならば「夢」もまた原始的な心と魂の世界に属するものだからです。
*-*-*-*-*-*-*
例えばタロットや易などでは質問を問いかけた「時」と「場」のシンクロニシティを使って質問の答に迫ろうとします。占いのために目の前に展開させた象徴を理解し、読み解いて答えを導くのです。
誕生日を使った占いでは、その人が生まれた時間や場所という、特別な「時」と「場」を材料にして象徴を読もうとします。「その人がその時、そこで生まれた」という意味のある一点を「その人の性質や運命」とシンクロさせるわけです。
ですから占いは常に「シンクロニシティ」と「象徴の世界」を扱っています。占い師が意識していようといまいと、占う時にはいつも「宇宙の力」や「原始的な心と魂、夢の世界」に触れているのです。占い師は自分の心や魂を媒介として使いながら働いています。そして占われる人は占い師に自分の心や魂を介在させています。
このように占いは「心と魂の世界」と切っても切れないのです。そしてその世界に左右されます。原始的な心と魂の世界は人の運命や人生に大きく関わり、影響します。
占い行為は古代から人間の間にあり、自然や宇宙の様々な事象を捉えて不安定な未来を生き延びていくため行われてきました。占いの際に表れた現象を象徴的に捉えて何らかの言葉、神の意志といえるものを導いてきたのです。
*-*-*-*-*-*-*
以上のようなことを考えあわせてみると、占いを『未来予知』『透視』等の行為と捉えるのは不適切であると感じられて来ませんか?未来を予知すること、今知らされていないことを覗き見ることは、神や宇宙に対する冒涜・傲慢であり、わたしたちに許されていることはただ、神や宇宙の言葉を受け取ることだけであると思うのです。
わたし個人は、占いを純粋に『神託』であると思っています。わたしは特定の神を信仰しているわけではありませんが、神という存在全般を信じていますし、身近に感じています。
お客様に未来を聞かれる時、わたしは決して『自分が知りえる未来をお教え』しているのではありません。カードや星の象徴を通して言葉を受け取り、それをお伝えしているだけです。
タロットカードというツールも、本来は占いのためにつくられたものではありません。宗教観や社会にあまねく様々なものごとを遊びを通して学び、啓蒙するための道具でした。「遊び」も夢と同じように原始的な心と魂の世界に属しているものです。それが占いのために使われはじめ、こんなにも普及したのも頷けます。
そしてホロスコープさえ、『未来予知』というよりはその人の人生のあらゆる可能性を内包した小宇宙であるという捉え方がクローズアップされています。あらゆる可能性の中からひとつの可能性を選んでゆくことにまつわる作業が、占い行為と通ずるのです。
わたしは占い好きのみなさんに、もっと占いのことを深く、広く、知っていただけたらいいなぁと思っています。
占いに対するミステリアスな期待を少なからず裏切ることになるかも知れませんが、その曖昧模糊としたベールを一枚取り去った時、占いという神託をよりよい形で受け取ることが出来るのだと信じています。
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