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大阪の占い師 サワツ純子 のタロットブログです。たまに理屈っぽい日常のああだこうだも入っています。
長文OK・お暇な方のみお読み下さいませ。(・∀・)サワツ純子
※各ブログ記事へのインデックスを作ってみました。良ければご利用ください※
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興味のある方はどうぞお越しくださいませ。
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今回は、4枚の“10”のカードです。
*-*-*-*-*-*-*
【棒10】大きな力に屈服。自ら重荷を背負うことになる。
【聖杯10】しあわせの共有。家族のしあわせ。
【剣10】悩みや苦しみが限界を超える。無抵抗に傷つけられズタズタになる。時間が解決してくれる。(一方的にやられる。戦い合うよりは良い)
【金貨10】個人の枠を超えた大きな富、世代に引き継がれる富、経済共同体(家庭や職場、大企業、豊かさを産みだす風土や家風)
*-*-*-*-*-*-*
『9』は個人的な形で到達できる最高レベルの状態を表わす数字でした。
『10』は個人を超えた規模、大きさ、強さのレベルを表現します。
棒では、ひとりで担うには重すぎる荷物を背負わされています。剣ではあまりにもたくさんの攻撃を受けています。1対1の戦いではなかったと思われます。聖杯では、空に虹と共に浮かんでいるよろこび楽しみを家族みんなで分かち合っています。金貨では豪華な邸宅に世代を超えた人たちが集い、ペットまでが元気に暮らしています。
棒と剣では一人にかかる圧力・攻撃の大きさが印象強く、聖杯と金貨では共に“家族”に焦点が当たっています。
『10』は大きな数ですのでエレメントの特徴が際立って表れます。『9』も大きな数ですが、そこではまだ表れ方が個人レベルにとどまっていました。
『10』ではエレメントの表れ方が『9』とどのように違ってくるのかに注目して見て行きたいと思います。
*-*-*-*-*-*-*
■棒10
ここではたくさんの棒をひとりで抱え運んでいる人が描かれています。背中や腰に負担がかかってとても辛そうです。
しかし彼の足取りや様子はまだしっかりしているように見えます。力を使い果たして倒れるまでにはまだ間がありそうですが、こんなことを続けていたら遅かれ早かれ身体を壊してしまうでしょう。
彼はなぜこんな重労働に就いているのでしょう。きっと逆らうことが出来ない事情があるに違いありません。彼に重労働を強いている相手は逆らっても勝てないくらい強く、味方も大勢いるのでしょう。
あるいは彼は、この重労働を引き受けることで何らかの補償を担っているのかも知れません。誰かのため、何かのため、あるいは自分自身のため…そのために進んで重荷を背負っているとも考えられます。
【棒10】では組織の力学が強く働いています。背後にある集団や組織の力が個人に重荷を背負わせている形だと言えます。ここで重荷を背負わされている人は味方が少なく弱者であり、強者・多数者に逆らうことが出来ません。
しかし、たとえ重労働を担わされても一人で大勢の敵と戦うことと比べればまだマシだとも言えるでしょう。この重労働は一方では強制ですが、もう一方では身の安全と平和のために自ら進んで引き受けているものでもあるのです。
あるいは彼は自分の家族をやしなうために一人で頑張っているのかも知れません。この場合、彼に重労働を担わせているのは彼の家族だということになります。だとしたら彼は決していやいや働いているわけではないでしょう。
もしくは何らかの社会的なひずみ…人手不足や業界不振…が彼に激務を負わせているのかも知れません。あるいは何か彼個人の事情を解決するためには重過ぎる責務を背負うしか方法がないのかも知れません。
このカードの背景は明晰な意識を表わす青色ですし、彼の歩いている土地には豊かな緑の木々も生えています。彼の重労働は決して不毛で救いようのないものではありません。彼はカードの右方向…未来を表わす…に棒を運んでいます。彼の労働と骨折りは未来のために役立つものなのです。
■■聖杯10
ここでは空にかかった虹に沿って並んでいる10個の聖杯が描かれています。その空の下では一組の夫婦と子供たちがよろこびや楽しさを身体で表わしています。夫婦はそれぞれの片手を相手の腰に回し、もう片方の手を空に向かって差し上げています。子供たちも手を取り合って踊っています。正面には豊かで穏やかな緑の丘に小川が流れ、奥に赤い屋根の家が建っているのも見えます。なんて平和でしあわせそうな光景なのでしょう。10個の聖杯も虹も、彼らとこの世界を祝福しているに違いありません。
この家族の服装や、奥に見える住居はごく普通のものです。飾り気もなく特別贅沢な人たちではなさそうですが、決して貧乏暮らしには見えません。男性は小奇麗で人前に出て恥ずかしくない服装ですし、女性も長いドレスを着ておしゃれです。子供たちも簡素ながらきちんとした服装です。住居は小ぶりですが自然に囲まれて住み心地が良さそうです。
主人は毎日勤勉に働いて稼ぎを持って帰り、夫人はかいがいしく家族のために食事を作ったり洗濯・掃除と忙しく立ち回っているのでしょう。子供たちは与えられたものを分け合いながら遊び、ゆたかな自然に育まれているようです。
ここの主人はどんなに働いてどんなにたくさんお金を稼いでも、それでお金が余るということはないでしょう。たくさん儲かれば儲けた分だけ、家族のために費やされるからです。育ちざかりの子供たちにおいしいものを食べさせてあげたり、良い教育を受けさせたり、妻のために新しい服を買ってあげたり、不測の事態に備えて貯蓄をしたり…みんなが心地よく元気に暮らしていくためにお金は費やされるでしょう。
この家族の各人は誰ひとりとして贅沢はしていません。でも必要なものはほとんど揃っています。足りないものは分け合って使います。無ければ無いですませます。家族がひとつ屋根の下、触れ合いながら暮らしていればお互い助け合うことが出来ます。退屈もしません。ひとりの喜びはみんなの喜びになり、一人の悲しみは他のみんなが癒してくれます。
【聖杯10】では心と感情の共有がもたらしてくれる恵みを表わしています。よろこび・楽しみを共に生きる人と分かちあう生活の豊かさが、一人きりの贅沢な生活の豊かさとどのように違うのか、詳細に見て取ることが出来るでしょう。
■剣10
ここでは背中にたくさんの剣を突き刺されて倒れている男性が描かれています。彼は血を流しているのでしょうか。息絶え死んでしまったのでしょうか。
こんなにたくさんの剣が彼の“背中”に刺さっているということは、きっと敵は大勢だったのでしょう。今は真っ暗な空が遠くの方から明るくなりはじめていますから、襲われたのは真夜中ころだったのかも知れません。彼は視界の自由が利かない状態で大勢の手によって攻撃されたのです。はっきりと周りが見えていたら彼も多勢に無勢を悟って逃げることができたでしょう。
朝になれば誰か通りがかりの人が彼を見つけて助けてくれるかも知れません。今は動くことすら出来ませんが、これ以上傷口を広げないようにじっと時を待つしかなさそうです。
【剣10】で男性が背中に受けている剣は批判や非難のように解釈できます。大勢から一斉に非難を受けるとこのようにズタズタになってしまうのではないでしょうか。反撃する隙もなくダメージを一身に受けて打ちのめされたなら、もう自分ではどうすることも出来ません。立ち直るには誰かの介添えがぜひとも必要です。そしてなぜこんな無茶なことになったのか、反省することも必要でしょう。
【剣9】では自分一人で悩んでいましたから、他人から攻撃されることもなければ、誰かに助けてもらうことも出来ませんでした。
この【剣10】では大勢の攻撃にさらされズタズタになってしまいましたが、教訓を得ることも出来ました。他人の動向や感じ方、考え方を考慮しながら行動しなければ、下手をすればとことんまでやられてしまうと知ったことでしょう。無闇に、無防備に、剣の前に立つ危険を学んだに違いありません。
■金貨10
ここではカバラのセフィロトの樹の配置に10個の金貨が描かれています。その奥にはとても立派な邸宅のロビーで思い思いにくつろいでいる人たちの姿があります。
中央には若夫婦と思しき美しい男女が何か話しています。女性の足元にいるのはこの夫婦の子息でしょう。1匹の白い犬のしっぽの辺りに手をかけています。手前の豪華な椅子には立派なマントを羽織った老人が座っており、もう1匹の白い犬の頭を撫でています。この2匹はよくしつけられた賢い犬のようです。
アーチ型の立派な柱に描かれた紋章は、この家族が由緒正しい家柄であることを窺わせます。これだけの立派な邸宅やもちものは一代で築かれたものではなく、先祖代々受け継がれたしきたりや知恵によって守られ、築かれてきたのでしょう。
【金貨9】では富は個人的なレベルにとどまっていました。稼ぎは自分や自分の従属者によって費やされ、余剰の稼ぎは贅沢品などに使われました。
【金貨10】では家族や血族、企業など個人を超えた経済単位を表わしています。ここでは富は家族・血族、企業の構成員の相互で共有され、費やされます。共有されている富は構成員みんなで守られ、増やされ、費やされます。
さらに【金貨10】には、富をつくる・増やす法則…錬金術…のエッセンスが含まれていると考えられます。金貨がセフィロトの樹の配置で描かれているのは、「この法則」が活かされた状態であることを表わしていると解釈できます。
一般的に、何代も続いている資産家や名家には、蓄えられた富を下地としたしきたりや家風があります。これらのしきたり等は一族の富と繁栄を守るのに役立っています。結婚は家柄が重視され、富と富が繋がりあい守りあう働きを担っています。家柄の釣り合いを考えない自由な恋愛や結婚は一族から尊重されません。しつけ・教育も慎重になされます。職業の選択などにおいても個々は一族の繁栄を阻害しない範囲で生きるよう推奨されます。
大企業ではひとつの巨大資本がたくさんの業界に事業展開しています。ある会社の支出が同資本の関連会社の利益となるように商取引されたり、お互いに利益が確保できる形で合併や買収が行われたりと、やはり巨富を守るノウハウが活かされています。
これらのノウハウや法則、しきたりなどは、ある程度富が蓄積されてこそ活かせるという側面もあります。そして富というのは集まれば集まるほど集めやすくなる性質もあります。
良い法則に乗っかれば富は集まってきます。生まれ育ちのありようから学業、就職、結婚、出産などの折々に【金貨10】の法則が活かされるよう選択すれば、自ずと物質的な豊かさは増していくでしょう。この法則は時代や文化に左右されるその場限りの手法ではなく、人間の本質に根ざした宇宙の法則のひとつだと言えるでしょう。
*-*-*-*-*-*-*
『10』は2ケタの数字です。『9』と『10』は1つしか違いませんが、数の性質はずいぶん違います。『10』は10進法の世界では『おおきな1』です。視点はひとつ上の次元に移り、広げられ、解釈されます。
『9』と『10』は、小アルカナ『1』と『2』の違いにも似ています。
小アルカナ『1』は各エレメントがまだ個人の中だけにある状態でした。『2』はそれを外の世界や誰かに行動として投げかけた状態でした。
小アルカナ『9』は各エレメントが個人レベルで最終段階に至った状態でした。『10』はそれが集団や社会に適用された状態でした。
大アルカナの【1・魔術師】は自分の意志を表明するカードでした。【2・女教皇】は自分の気持ちと外の反応との葛藤を表わしていました。
大アルカナの【9・隠者】は個人の経験や精神が極まったカードでした。【10・運命の輪】は自分を超えた運命の力が働くカードでした。
タロットは繰り返しくりかえし『自分』と『他者』の関係を説いてきます。そして繰り返しくりかえし『次元の転位』を考えるよう示唆します。
『内部』と『外部』を、『精神』と『物質』を、『行動』と『受容』を、『動』と『静』を、よく観察し、学ぶよう要請してきます。
これらはみな、数字と四大エレメントに還元され表現されています。数字とエレメントの交差はありとあらゆるものを含み、敷衍します。【聖杯9】のように聖杯でありながら【金貨】の意味を帯びてきたり、【棒8】のように棒(行動・活力など)でありながら「通信」など【剣】の意味を帯びたりと、性質の転換があったりもします。
この『次元の転換』『性質の転換』『レベルの転換』が起こる『9』『10』を充分に理解することは、タロットが表現しようとしている原理と知恵を正しくつかむ鍵になると思います。
*-*-*-*-*-*-*
【棒10】大きな力に屈服。自ら重荷を背負うことになる。
【聖杯10】しあわせの共有。家族のしあわせ。
【剣10】悩みや苦しみが限界を超える。無抵抗に傷つけられズタズタになる。時間が解決してくれる。(一方的にやられる。戦い合うよりは良い)
【金貨10】個人の枠を超えた大きな富、世代に引き継がれる富、経済共同体(家庭や職場、大企業、豊かさを産みだす風土や家風)
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『9』は個人的な形で到達できる最高レベルの状態を表わす数字でした。
『10』は個人を超えた規模、大きさ、強さのレベルを表現します。
棒では、ひとりで担うには重すぎる荷物を背負わされています。剣ではあまりにもたくさんの攻撃を受けています。1対1の戦いではなかったと思われます。聖杯では、空に虹と共に浮かんでいるよろこび楽しみを家族みんなで分かち合っています。金貨では豪華な邸宅に世代を超えた人たちが集い、ペットまでが元気に暮らしています。
棒と剣では一人にかかる圧力・攻撃の大きさが印象強く、聖杯と金貨では共に“家族”に焦点が当たっています。
『10』は大きな数ですのでエレメントの特徴が際立って表れます。『9』も大きな数ですが、そこではまだ表れ方が個人レベルにとどまっていました。
『10』ではエレメントの表れ方が『9』とどのように違ってくるのかに注目して見て行きたいと思います。
*-*-*-*-*-*-*
■棒10
ここではたくさんの棒をひとりで抱え運んでいる人が描かれています。背中や腰に負担がかかってとても辛そうです。
しかし彼の足取りや様子はまだしっかりしているように見えます。力を使い果たして倒れるまでにはまだ間がありそうですが、こんなことを続けていたら遅かれ早かれ身体を壊してしまうでしょう。
彼はなぜこんな重労働に就いているのでしょう。きっと逆らうことが出来ない事情があるに違いありません。彼に重労働を強いている相手は逆らっても勝てないくらい強く、味方も大勢いるのでしょう。
あるいは彼は、この重労働を引き受けることで何らかの補償を担っているのかも知れません。誰かのため、何かのため、あるいは自分自身のため…そのために進んで重荷を背負っているとも考えられます。
【棒10】では組織の力学が強く働いています。背後にある集団や組織の力が個人に重荷を背負わせている形だと言えます。ここで重荷を背負わされている人は味方が少なく弱者であり、強者・多数者に逆らうことが出来ません。
しかし、たとえ重労働を担わされても一人で大勢の敵と戦うことと比べればまだマシだとも言えるでしょう。この重労働は一方では強制ですが、もう一方では身の安全と平和のために自ら進んで引き受けているものでもあるのです。
あるいは彼は自分の家族をやしなうために一人で頑張っているのかも知れません。この場合、彼に重労働を担わせているのは彼の家族だということになります。だとしたら彼は決していやいや働いているわけではないでしょう。
もしくは何らかの社会的なひずみ…人手不足や業界不振…が彼に激務を負わせているのかも知れません。あるいは何か彼個人の事情を解決するためには重過ぎる責務を背負うしか方法がないのかも知れません。
このカードの背景は明晰な意識を表わす青色ですし、彼の歩いている土地には豊かな緑の木々も生えています。彼の重労働は決して不毛で救いようのないものではありません。彼はカードの右方向…未来を表わす…に棒を運んでいます。彼の労働と骨折りは未来のために役立つものなのです。
■■聖杯10
ここでは空にかかった虹に沿って並んでいる10個の聖杯が描かれています。その空の下では一組の夫婦と子供たちがよろこびや楽しさを身体で表わしています。夫婦はそれぞれの片手を相手の腰に回し、もう片方の手を空に向かって差し上げています。子供たちも手を取り合って踊っています。正面には豊かで穏やかな緑の丘に小川が流れ、奥に赤い屋根の家が建っているのも見えます。なんて平和でしあわせそうな光景なのでしょう。10個の聖杯も虹も、彼らとこの世界を祝福しているに違いありません。
この家族の服装や、奥に見える住居はごく普通のものです。飾り気もなく特別贅沢な人たちではなさそうですが、決して貧乏暮らしには見えません。男性は小奇麗で人前に出て恥ずかしくない服装ですし、女性も長いドレスを着ておしゃれです。子供たちも簡素ながらきちんとした服装です。住居は小ぶりですが自然に囲まれて住み心地が良さそうです。
主人は毎日勤勉に働いて稼ぎを持って帰り、夫人はかいがいしく家族のために食事を作ったり洗濯・掃除と忙しく立ち回っているのでしょう。子供たちは与えられたものを分け合いながら遊び、ゆたかな自然に育まれているようです。
ここの主人はどんなに働いてどんなにたくさんお金を稼いでも、それでお金が余るということはないでしょう。たくさん儲かれば儲けた分だけ、家族のために費やされるからです。育ちざかりの子供たちにおいしいものを食べさせてあげたり、良い教育を受けさせたり、妻のために新しい服を買ってあげたり、不測の事態に備えて貯蓄をしたり…みんなが心地よく元気に暮らしていくためにお金は費やされるでしょう。
この家族の各人は誰ひとりとして贅沢はしていません。でも必要なものはほとんど揃っています。足りないものは分け合って使います。無ければ無いですませます。家族がひとつ屋根の下、触れ合いながら暮らしていればお互い助け合うことが出来ます。退屈もしません。ひとりの喜びはみんなの喜びになり、一人の悲しみは他のみんなが癒してくれます。
【聖杯10】では心と感情の共有がもたらしてくれる恵みを表わしています。よろこび・楽しみを共に生きる人と分かちあう生活の豊かさが、一人きりの贅沢な生活の豊かさとどのように違うのか、詳細に見て取ることが出来るでしょう。
■剣10
ここでは背中にたくさんの剣を突き刺されて倒れている男性が描かれています。彼は血を流しているのでしょうか。息絶え死んでしまったのでしょうか。
こんなにたくさんの剣が彼の“背中”に刺さっているということは、きっと敵は大勢だったのでしょう。今は真っ暗な空が遠くの方から明るくなりはじめていますから、襲われたのは真夜中ころだったのかも知れません。彼は視界の自由が利かない状態で大勢の手によって攻撃されたのです。はっきりと周りが見えていたら彼も多勢に無勢を悟って逃げることができたでしょう。
朝になれば誰か通りがかりの人が彼を見つけて助けてくれるかも知れません。今は動くことすら出来ませんが、これ以上傷口を広げないようにじっと時を待つしかなさそうです。
【剣10】で男性が背中に受けている剣は批判や非難のように解釈できます。大勢から一斉に非難を受けるとこのようにズタズタになってしまうのではないでしょうか。反撃する隙もなくダメージを一身に受けて打ちのめされたなら、もう自分ではどうすることも出来ません。立ち直るには誰かの介添えがぜひとも必要です。そしてなぜこんな無茶なことになったのか、反省することも必要でしょう。
【剣9】では自分一人で悩んでいましたから、他人から攻撃されることもなければ、誰かに助けてもらうことも出来ませんでした。
この【剣10】では大勢の攻撃にさらされズタズタになってしまいましたが、教訓を得ることも出来ました。他人の動向や感じ方、考え方を考慮しながら行動しなければ、下手をすればとことんまでやられてしまうと知ったことでしょう。無闇に、無防備に、剣の前に立つ危険を学んだに違いありません。
■金貨10
ここではカバラのセフィロトの樹の配置に10個の金貨が描かれています。その奥にはとても立派な邸宅のロビーで思い思いにくつろいでいる人たちの姿があります。
中央には若夫婦と思しき美しい男女が何か話しています。女性の足元にいるのはこの夫婦の子息でしょう。1匹の白い犬のしっぽの辺りに手をかけています。手前の豪華な椅子には立派なマントを羽織った老人が座っており、もう1匹の白い犬の頭を撫でています。この2匹はよくしつけられた賢い犬のようです。
アーチ型の立派な柱に描かれた紋章は、この家族が由緒正しい家柄であることを窺わせます。これだけの立派な邸宅やもちものは一代で築かれたものではなく、先祖代々受け継がれたしきたりや知恵によって守られ、築かれてきたのでしょう。
【金貨9】では富は個人的なレベルにとどまっていました。稼ぎは自分や自分の従属者によって費やされ、余剰の稼ぎは贅沢品などに使われました。
【金貨10】では家族や血族、企業など個人を超えた経済単位を表わしています。ここでは富は家族・血族、企業の構成員の相互で共有され、費やされます。共有されている富は構成員みんなで守られ、増やされ、費やされます。
さらに【金貨10】には、富をつくる・増やす法則…錬金術…のエッセンスが含まれていると考えられます。金貨がセフィロトの樹の配置で描かれているのは、「この法則」が活かされた状態であることを表わしていると解釈できます。
一般的に、何代も続いている資産家や名家には、蓄えられた富を下地としたしきたりや家風があります。これらのしきたり等は一族の富と繁栄を守るのに役立っています。結婚は家柄が重視され、富と富が繋がりあい守りあう働きを担っています。家柄の釣り合いを考えない自由な恋愛や結婚は一族から尊重されません。しつけ・教育も慎重になされます。職業の選択などにおいても個々は一族の繁栄を阻害しない範囲で生きるよう推奨されます。
大企業ではひとつの巨大資本がたくさんの業界に事業展開しています。ある会社の支出が同資本の関連会社の利益となるように商取引されたり、お互いに利益が確保できる形で合併や買収が行われたりと、やはり巨富を守るノウハウが活かされています。
これらのノウハウや法則、しきたりなどは、ある程度富が蓄積されてこそ活かせるという側面もあります。そして富というのは集まれば集まるほど集めやすくなる性質もあります。
良い法則に乗っかれば富は集まってきます。生まれ育ちのありようから学業、就職、結婚、出産などの折々に【金貨10】の法則が活かされるよう選択すれば、自ずと物質的な豊かさは増していくでしょう。この法則は時代や文化に左右されるその場限りの手法ではなく、人間の本質に根ざした宇宙の法則のひとつだと言えるでしょう。
*-*-*-*-*-*-*
『10』は2ケタの数字です。『9』と『10』は1つしか違いませんが、数の性質はずいぶん違います。『10』は10進法の世界では『おおきな1』です。視点はひとつ上の次元に移り、広げられ、解釈されます。
『9』と『10』は、小アルカナ『1』と『2』の違いにも似ています。
小アルカナ『1』は各エレメントがまだ個人の中だけにある状態でした。『2』はそれを外の世界や誰かに行動として投げかけた状態でした。
小アルカナ『9』は各エレメントが個人レベルで最終段階に至った状態でした。『10』はそれが集団や社会に適用された状態でした。
大アルカナの【1・魔術師】は自分の意志を表明するカードでした。【2・女教皇】は自分の気持ちと外の反応との葛藤を表わしていました。
大アルカナの【9・隠者】は個人の経験や精神が極まったカードでした。【10・運命の輪】は自分を超えた運命の力が働くカードでした。
タロットは繰り返しくりかえし『自分』と『他者』の関係を説いてきます。そして繰り返しくりかえし『次元の転位』を考えるよう示唆します。
『内部』と『外部』を、『精神』と『物質』を、『行動』と『受容』を、『動』と『静』を、よく観察し、学ぶよう要請してきます。
これらはみな、数字と四大エレメントに還元され表現されています。数字とエレメントの交差はありとあらゆるものを含み、敷衍します。【聖杯9】のように聖杯でありながら【金貨】の意味を帯びてきたり、【棒8】のように棒(行動・活力など)でありながら「通信」など【剣】の意味を帯びたりと、性質の転換があったりもします。
この『次元の転換』『性質の転換』『レベルの転換』が起こる『9』『10』を充分に理解することは、タロットが表現しようとしている原理と知恵を正しくつかむ鍵になると思います。
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