最新記事
【雑談】上京準備の日々
(09/23)
【雑談】自分の得意な尺度を自由に採用するのがいいですね
(09/11)
【雑談】抽象的なお話(?)
(09/02)
【雑記】ブログ更新をお休みしました&東京出張について
(08/21)
カテゴリー
アーカイブ
カレンダー
11 | 2024/12 | 01 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
29 | 30 | 31 |
最新コメント
[02/27 グリーン]
[02/26 ヒタチ]
[02/20 グリーン]
[10/24 グリーン]
[10/23 ヒタチ]
最新トラックバック
ブログ内検索
P R
アクセス解析
大阪の占い師 サワツ純子 のタロットブログです。たまに理屈っぽい日常のああだこうだも入っています。
長文OK・お暇な方のみお読み下さいませ。(・∀・)サワツ純子
※各ブログ記事へのインデックスを作ってみました。良ければご利用ください※
【宣伝】
興味のある方はどうぞお越しくださいませ。
長文OK・お暇な方のみお読み下さいませ。(・∀・)サワツ純子
※各ブログ記事へのインデックスを作ってみました。良ければご利用ください※
【宣伝】
興味のある方はどうぞお越しくださいませ。
前回は、占いとは『神託』を受け取ることである、ということを書きました。
神託とは、神から託されたもの、神からの言葉、メッセージ、というような意味です。
あることについて「神」に問う…真面目に考えると、これはとても恐れ多い感じがしますよね。
*-*-*-*-*-*-*
神という言葉を出すと本能的に警戒される方がいらっしゃるので、ここでわたしが使っている神という言葉、概念について少し述べておきます。
「神」というと即、『宗教布教活動』を連想する方がいらっしゃいます。神という言葉を聞くや否や、うさんくさいんじゃないか?という疑いを持つ方たちは、たいてい宗教活動にのめり込む人に対するイメージをセットにして神を捉えています。
神、という言葉・概念・存在は、宗教とは別のものです。
そして宗教は、宗教活動とも別ですし、宗教布教活動とも違います。
宗教と信仰もまた違います。
宗教活動に熱心な人ほど神を信仰していないように見えることが多々ありますし、逆に神と聞いてうさんくさいイメージを持ってしまうような人のうちに、神への強い捉われを見ることさえあります。
神は単純に、神です。
信仰とは、神を信じ、敬い、慕い、畏れること。
宗教とは、同じ神を信じる人たちの教義体系や組織体系のこと。
宗教活動とは、宗教の教義に沿った行動を社会に向けて行うこと。
宗教布教活動とは、自分たちの神を他の人にも広めること。
どうでしょうか。少し違いがはっきりしたでしょうか。
わたしは別にここで「神」という言葉を使わなくてもよいのです。「宇宙」でもいいし、ニューエイジ系の人たちが用いるような他の言葉でも構いません。
ただ、もしあなたが『人生最大のピンチ』に直面したとしたら、何に祈りますか?
「宇宙に祈る」という人はあんまりいないんじゃないかと思います。
「神に祈る」ほうがしっくり来ますよね。
だから「神」という言葉を使っています。ただそれだけです。
わたしが神というとき、そこには特定の宗教に関する意味合いはまったく含ませていません。
誰もが自分の中に持っている神…ピンチの時に祈り、願う相手のことを言っています。
*-*-*-*-*-*-*
さて、わたしは占う時…つまり神託を受け取ろうとする時、その「神」を頼りにするわけです。みなさんの方では、占い師という人間を通じて神からのメッセージなり、答なりを受けようとされるわけです。
神に尋ねるのですから、そこにはそれなりの真摯さ、誠実さがあることが好ましいです。出された答が気に入らないからと言って何度も同じ質問を繰り返したり、無意味にこまごまとした質問を節操なく訊ねることを、あなたを守ってくれる神様が喜ぶかどうか…今ちょっとここで考えてみてください。
これは決して占い師に敬意を払えと言っているのではないので、誤解しないでくださいね。占い師は単なる触媒ですから、占い師に敬意を払う必要はありません。お金を払って下さる以上、占い師はあなたの要求に応えようとします。そういう意味では占い師はあなたの使用人ですが、神様は決してあなたの使用人ではありません。
ですから、みなさんが占いに来られ質問される前には、どうかあなたの抱えている迷いや悩み・疑問について、胸のうちで充分にあなたの神様と対話をして欲しいのです。そして知りたいことを教えて欲しい、願望を現実にするために力を貸してください、と心から祈って欲しいのです。あなたがあなたの神様に対して正直であることを訴え、願って欲しいのです。
この祈りの気持ちがあるかないかで、占いの結果の質も、今後のあなたの問題の流れもずいぶん変わってきます。これはほんとうです。
*-*-*-*-*-*-*
このように「占うこと」は、実は「あなたの神と関わること」です。
神と関わるのですから、占うごとに、あなたの人生や問題の流れは少しずつ変わっていきます。
占いようによって、良いように変わったり、悪いように変わったりします。
これはわたし個人の実感なのですが、
占うこと自体が、その問題の状態に幾らかの作用を及ぼすことは決して少なくありません。
占わなければ自然に進んでいくことでも、占うことによって自然な成り行きが損なわれてしまうことも時にはあるのです。
もし、物事がとてもうまく行っているなら、占わない方が賢明です。
あまりに何度もしつこく占うと、そのことによって物事を損ねてしまう可能性があります。占うこととは、あなたの神様に伺いを立てることなのだと実際に思い浮かべていただければ何となくイメージしやすいのではないでしょうか。
占いとは決して『さだめられた未来を覗き見するシステム』なんかではありません。
占いとは、あなたとあなたの神様との対話なのです。
ですから、良い占い方ならば、たくさん占うことは良いことです。あなたの神様とたくさんお話することになるのですから。しかし悪い占い方をすることは、あなたとあなたの神様の関係を悪くすることになるのです。
あなたの神様というのはどこにいるのか…それはもちろん、あなた自身の中です。
*-*-*-*-*-*-*
では良い占い方とか悪い占い方というのは一体何なんでしょう。
良い占い方というのは、あなたとあなたの神様がきちんと対話することです。
悪い占い方というのは、あなたがあなたの神様の存在を忘れてしまったまま、いたずらに質問を繰り出し、あなたの未来を傷めてしまうことです。
良い占い方とは、あなたが自分のしあわせについて真面目に考え、自分でしあわせを掴むために神様にメッセージを求めることです。
悪い占い方とは、あなたがただラクをしたり得をしたりするために物事を知りたがることです。
◎あなたが試験を受けるとしましょう。
志望校を決めるため、どの志望校が良さそうかを知りたがることは別段悪いことではありません。
でも、どの学校なら受かるか、必ず受かるかどうかの結果を占いに求めるのは良くないことです。
志望校を決めるときに大切なのは「受かるか受からないか」ではありません。あなたが本当に志望校決定について真剣で誠実ならば、自分に合った学校はどこか、自分の未来をどうしたいのか、今の生活や現状と釣り合いがとれているかどうかを検討するでしょう。
あなたが『自分でしあわせを掴むための志望校決定』について神様からのメッセージを受け取ろうとするのは良い占い方です。しかし、あなたがラクをしたり得をしたりするために『受かる学校を知ろうとする』のは悪い占い方です。あなたは未来を知ることによって、本来あなたがあなた自身で歩まねばならない道のりを歪ませてしまうのです。
未来を知ろうとすることがなぜ、却って未来を歪ませてしまうことになるのでしょうか。
占いでもし「試験に受かるでしょう」と言われたら、あなたは試験勉強を必死でやり続けられるでしょうか?またもし「試験に落ちるでしょう」と言われたら、あなたは試験勉強を必死でやり続けられるでしょうか?…ようく考えてください。
「受かるでしょう」と言われれば油断をします。「落ちるでしょう」と言われれば諦めの気持ちが出ます。どちらにしても本来のあなたの力が落ちるのです。このようなことを占うと、どんな答が出ようと試験に落ちやすくなります。
占うことによって、どちらにしてもあなたは損をします。
占うこと自体がその問題の状態に影響を及ぼすというのはそういうことです。
占うことによって、自然な成り行きが損なわれてしまうのです。
占いたいと思ったとき、あなたがきちんとあなたの神様と対話出来ていれば、何を訊ねていいか、何を訊ねるべきではないかが分かります。
あなたの神様が、あなたに何を求めているか。それを考えればたやすいことです。
志望校選びと試験対策の例で考えてみれば、たとえば「試験をパスするためにどんな努力をしたらいいか」「何をして、何をしないようにすればよいか」「注意すべきことは何か」「幸運を導くものは何か」など、あなたの力を充分に発揮するためのアドバイスを求めるべきです。あなたはそれによって損をすることはまったくありません。
そして、そのような思いで占いを行えば自ずと試験の結果に関する情報も入ってくるでしょう。A校は今の学力ではまだまだ難しそうだ。B校はまぁまぁいい線行ってるようだ。もっとこうすれば勉強の効率が上がる。最も難しいはずのC校になぜか良い兆しが出ている…ラッキーで受かるかもしれない、などなど。。
あなたが全力で取り組む気持ちさえあれば、あなたの神様は良い情報をくれるでしょう。その結果占いが当たったり外れたりがあれば、その時占い師がヘボかどうか自由に判断して下されば結構です。何しろあなたは絶対に損をしないのですから。
*-*-*-*-*-*-*
あなたが、あなたの神様と対話をすること、それが即ち『祈り』です。
神に祈るとは、神様に「いうことをきいてください」とわがままをいうことではありません。あなたの神様は、あなたの使用人ではないのです。
わたしはしあわせになりたい。誠意を持って全力を尽くしますからどうか力をお貸し下さい、とお願いすることが『祈り』です。
占うときは、どうかあなたの神様に祈ってください。きちんと対話をして下さい。
そうすればわたしたち占い師が正しいメッセージをあなたにお届けする時の、大きな助けになります。
『祈り』のない占いは、あなたのしあわせの役に立ちにくいのです。
占い師も、あなたのしあわせのために自分の祈りを捧げたいと、いつも思っているのです。
神託とは、神から託されたもの、神からの言葉、メッセージ、というような意味です。
あることについて「神」に問う…真面目に考えると、これはとても恐れ多い感じがしますよね。
*-*-*-*-*-*-*
神という言葉を出すと本能的に警戒される方がいらっしゃるので、ここでわたしが使っている神という言葉、概念について少し述べておきます。
「神」というと即、『宗教布教活動』を連想する方がいらっしゃいます。神という言葉を聞くや否や、うさんくさいんじゃないか?という疑いを持つ方たちは、たいてい宗教活動にのめり込む人に対するイメージをセットにして神を捉えています。
神、という言葉・概念・存在は、宗教とは別のものです。
そして宗教は、宗教活動とも別ですし、宗教布教活動とも違います。
宗教と信仰もまた違います。
宗教活動に熱心な人ほど神を信仰していないように見えることが多々ありますし、逆に神と聞いてうさんくさいイメージを持ってしまうような人のうちに、神への強い捉われを見ることさえあります。
神は単純に、神です。
信仰とは、神を信じ、敬い、慕い、畏れること。
宗教とは、同じ神を信じる人たちの教義体系や組織体系のこと。
宗教活動とは、宗教の教義に沿った行動を社会に向けて行うこと。
宗教布教活動とは、自分たちの神を他の人にも広めること。
どうでしょうか。少し違いがはっきりしたでしょうか。
わたしは別にここで「神」という言葉を使わなくてもよいのです。「宇宙」でもいいし、ニューエイジ系の人たちが用いるような他の言葉でも構いません。
ただ、もしあなたが『人生最大のピンチ』に直面したとしたら、何に祈りますか?
「宇宙に祈る」という人はあんまりいないんじゃないかと思います。
「神に祈る」ほうがしっくり来ますよね。
だから「神」という言葉を使っています。ただそれだけです。
わたしが神というとき、そこには特定の宗教に関する意味合いはまったく含ませていません。
誰もが自分の中に持っている神…ピンチの時に祈り、願う相手のことを言っています。
*-*-*-*-*-*-*
さて、わたしは占う時…つまり神託を受け取ろうとする時、その「神」を頼りにするわけです。みなさんの方では、占い師という人間を通じて神からのメッセージなり、答なりを受けようとされるわけです。
神に尋ねるのですから、そこにはそれなりの真摯さ、誠実さがあることが好ましいです。出された答が気に入らないからと言って何度も同じ質問を繰り返したり、無意味にこまごまとした質問を節操なく訊ねることを、あなたを守ってくれる神様が喜ぶかどうか…今ちょっとここで考えてみてください。
これは決して占い師に敬意を払えと言っているのではないので、誤解しないでくださいね。占い師は単なる触媒ですから、占い師に敬意を払う必要はありません。お金を払って下さる以上、占い師はあなたの要求に応えようとします。そういう意味では占い師はあなたの使用人ですが、神様は決してあなたの使用人ではありません。
占い師はあなたの使用人かも知れないが、あなたの神様はあなたの使用人ではない。
ですから、みなさんが占いに来られ質問される前には、どうかあなたの抱えている迷いや悩み・疑問について、胸のうちで充分にあなたの神様と対話をして欲しいのです。そして知りたいことを教えて欲しい、願望を現実にするために力を貸してください、と心から祈って欲しいのです。あなたがあなたの神様に対して正直であることを訴え、願って欲しいのです。
この祈りの気持ちがあるかないかで、占いの結果の質も、今後のあなたの問題の流れもずいぶん変わってきます。これはほんとうです。
*-*-*-*-*-*-*
このように「占うこと」は、実は「あなたの神と関わること」です。
神と関わるのですから、占うごとに、あなたの人生や問題の流れは少しずつ変わっていきます。
占いようによって、良いように変わったり、悪いように変わったりします。
これはわたし個人の実感なのですが、
占うこと自体が、その問題の状態に幾らかの作用を及ぼすことは決して少なくありません。
占わなければ自然に進んでいくことでも、占うことによって自然な成り行きが損なわれてしまうことも時にはあるのです。
もし、物事がとてもうまく行っているなら、占わない方が賢明です。
あまりに何度もしつこく占うと、そのことによって物事を損ねてしまう可能性があります。占うこととは、あなたの神様に伺いを立てることなのだと実際に思い浮かべていただければ何となくイメージしやすいのではないでしょうか。
占いとは決して『さだめられた未来を覗き見するシステム』なんかではありません。
占いとは、あなたとあなたの神様との対話なのです。
ですから、良い占い方ならば、たくさん占うことは良いことです。あなたの神様とたくさんお話することになるのですから。しかし悪い占い方をすることは、あなたとあなたの神様の関係を悪くすることになるのです。
あなたの神様というのはどこにいるのか…それはもちろん、あなた自身の中です。
*-*-*-*-*-*-*
では良い占い方とか悪い占い方というのは一体何なんでしょう。
良い占い方というのは、あなたとあなたの神様がきちんと対話することです。
悪い占い方というのは、あなたがあなたの神様の存在を忘れてしまったまま、いたずらに質問を繰り出し、あなたの未来を傷めてしまうことです。
良い占い方とは、あなたが自分のしあわせについて真面目に考え、自分でしあわせを掴むために神様にメッセージを求めることです。
悪い占い方とは、あなたがただラクをしたり得をしたりするために物事を知りたがることです。
◎あなたが試験を受けるとしましょう。
志望校を決めるため、どの志望校が良さそうかを知りたがることは別段悪いことではありません。
でも、どの学校なら受かるか、必ず受かるかどうかの結果を占いに求めるのは良くないことです。
志望校を決めるときに大切なのは「受かるか受からないか」ではありません。あなたが本当に志望校決定について真剣で誠実ならば、自分に合った学校はどこか、自分の未来をどうしたいのか、今の生活や現状と釣り合いがとれているかどうかを検討するでしょう。
あなたが『自分でしあわせを掴むための志望校決定』について神様からのメッセージを受け取ろうとするのは良い占い方です。しかし、あなたがラクをしたり得をしたりするために『受かる学校を知ろうとする』のは悪い占い方です。あなたは未来を知ることによって、本来あなたがあなた自身で歩まねばならない道のりを歪ませてしまうのです。
未来を知ろうとすることがなぜ、却って未来を歪ませてしまうことになるのでしょうか。
占いでもし「試験に受かるでしょう」と言われたら、あなたは試験勉強を必死でやり続けられるでしょうか?またもし「試験に落ちるでしょう」と言われたら、あなたは試験勉強を必死でやり続けられるでしょうか?…ようく考えてください。
「受かるでしょう」と言われれば油断をします。「落ちるでしょう」と言われれば諦めの気持ちが出ます。どちらにしても本来のあなたの力が落ちるのです。このようなことを占うと、どんな答が出ようと試験に落ちやすくなります。
占うことによって、どちらにしてもあなたは損をします。
占うこと自体がその問題の状態に影響を及ぼすというのはそういうことです。
占うことによって、自然な成り行きが損なわれてしまうのです。
占いたいと思ったとき、あなたがきちんとあなたの神様と対話出来ていれば、何を訊ねていいか、何を訊ねるべきではないかが分かります。
あなたの神様が、あなたに何を求めているか。それを考えればたやすいことです。
志望校選びと試験対策の例で考えてみれば、たとえば「試験をパスするためにどんな努力をしたらいいか」「何をして、何をしないようにすればよいか」「注意すべきことは何か」「幸運を導くものは何か」など、あなたの力を充分に発揮するためのアドバイスを求めるべきです。あなたはそれによって損をすることはまったくありません。
そして、そのような思いで占いを行えば自ずと試験の結果に関する情報も入ってくるでしょう。A校は今の学力ではまだまだ難しそうだ。B校はまぁまぁいい線行ってるようだ。もっとこうすれば勉強の効率が上がる。最も難しいはずのC校になぜか良い兆しが出ている…ラッキーで受かるかもしれない、などなど。。
あなたが全力で取り組む気持ちさえあれば、あなたの神様は良い情報をくれるでしょう。その結果占いが当たったり外れたりがあれば、その時占い師がヘボかどうか自由に判断して下されば結構です。何しろあなたは絶対に損をしないのですから。
*-*-*-*-*-*-*
あなたが、あなたの神様と対話をすること、それが即ち『祈り』です。
神に祈るとは、神様に「いうことをきいてください」とわがままをいうことではありません。あなたの神様は、あなたの使用人ではないのです。
わたしはしあわせになりたい。誠意を持って全力を尽くしますからどうか力をお貸し下さい、とお願いすることが『祈り』です。
占うときは、どうかあなたの神様に祈ってください。きちんと対話をして下さい。
そうすればわたしたち占い師が正しいメッセージをあなたにお届けする時の、大きな助けになります。
『祈り』のない占いは、あなたのしあわせの役に立ちにくいのです。
占い師も、あなたのしあわせのために自分の祈りを捧げたいと、いつも思っているのです。
PR
Comment
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。
管理人のみ閲覧可
管理人のみ閲覧可