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大阪の占い師 サワツ純子 のタロットブログです。たまに理屈っぽい日常のああだこうだも入っています。
長文OK・お暇な方のみお読み下さいませ。(・∀・)サワツ純子
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今回から、色の考察【黒色】22/(2-5)黒色の部分/樹の枝の黒について見てみます。
黒色部分の解釈を暫定的に以下のように定義しておきます。
カードの画像データは、U.S.GAMES SYSTEMS,INC から出版されているライダー版ウエイトタロットです。
『世界シンボル事典』を参考図書として用います。
分類やコメントはあくまでもわたしの主観に基づいています。タロット作者の意図やカバラの教義に基づいた正しい解釈を目指しているのではなく、個人の自然な感覚と発想に頼って考察してみようとする試みです。ご了承の上、お読み下さい。
*-*-*-*-*-*-*
(2-5)黒色の部分/樹の枝の黒…
【6・恋人たち】【3・女帝】
*-*-*-*-*-*-*
各カード解釈にあたってまず『世界シンボル事典』で《木》項目を引いて見ました。
するとやはり…かなり多くの示唆に富む内容が書かれていました。すべてを引用するには長すぎますので、いつものように略をいれながらここに写してみます。
木は人間になぞらえられているのですね。上の記述中、
「キリスト教の図像においては、木は神の御心にかなった人生のシンボルであり、年ごとに成長と衰退を繰り返すため、生と死と復活をあらわす。」
という一文はそのまま《黒色》部分の解釈にあてはまります。また、
「西洋のキリスト教圏には、枯れた木や枝や杖が神の恩寵の証として緑の芽を吹くという伝説が広く流布している。中世の彫刻に見られる、芽を吹いた枝をもつ「樹の十字架」は、このような復活の象徴と結びつき、木が落ち葉と冬の静けさを経て新たに芽吹くことを思い起こさせる。」
という文節では、【棒】スートのワンドの描かれ方や、【12・吊された男】の十字架の木から緑の葉や芽が芽吹いていることを連想される方も多いでしょう。
上記引用を参考に【6・恋人たち】【3・女帝】のカードを見ると、やはり木の描かれ方に特徴があるのが分かります。
【6・恋人たち】では、女性の側にある木は幹も太く、実も生っています。しかし男性の側の木は幹が細く墨のように真っ黒で、葉も芽もなく、炎のような花のようなものだけが生っています。「実を結ばない木や枯れ木は罪人の象徴とされた」という上記の一文をふと連想します。女性の方は天を仰いでいますが、男性は女性の方を見ているのも意味深ですね。
【3・女帝】では、奥の林の木々に、緑と黒の二種類があるのが目に付きます。緑の木は幹が黄色で葉が緑、黒っぽく描かれている木は針葉樹なのか、高く伸びているのですが幹も葉も真っ黒です。これは見かけは木として描かれていますが、この女帝をとりまく「人々」を表しているとも解釈できそうです。神の御心に沿った恵み多い人もいれば、そうでない人もいる…しかし、黒い木として描かれた人であっても死と再生・成長を繰り返し、進化している途上なのだと言えるでしょう。
*-*-*-*-*-*-*
ということで、今回は更新がまた月曜日にずれ込んでしまいましたが、《木》項目を引いて下調べといたしました。
次回は《黒色解釈》にしたがって2枚のカードを見て行きたいと思います。
今後とも当ブログをよろしくお願いいたします。
黒色部分の解釈を暫定的に以下のように定義しておきます。
・第3のセフィラ「ビナー(理解)」と対応している(ウィキペディア・生命の樹の記事より)
・極端さ、甚だしさ、絶対性、神と関連 世俗的でない
・闇、悲しみ、光がない、試練、停滞(が、後に神がやってくる)
・悪魔の支配下にある
・進化に必要な過程
・極端さ、甚だしさ、絶対性、
・闇、悲しみ、光がない、試練、停滞(が、後に神がやってくる)
・悪魔の支配下にある
・進化に必要な過程
カードの画像データは、U.S.GAMES SYSTEMS,INC から出版されているライダー版ウエイトタロットです。
『世界シンボル事典』を参考図書として用います。
分類やコメントはあくまでもわたしの主観に基づいています。タロット作者の意図やカバラの教義に基づいた正しい解釈を目指しているのではなく、個人の自然な感覚と発想に頼って考察してみようとする試みです。ご了承の上、お読み下さい。
*-*-*-*-*-*-*
(2-5)黒色の部分/樹の枝の黒…
【6・恋人たち】【3・女帝】
*-*-*-*-*-*-*
各カード解釈にあたってまず『世界シンボル事典』で《木》項目を引いて見ました。
するとやはり…かなり多くの示唆に富む内容が書かれていました。すべてを引用するには長すぎますので、いつものように略をいれながらここに写してみます。
木は地に根を張り天に枝を伸ばしているので、人間と同じように「2つの世界に属する存在」であり、上-下を結びつける仲介者とされている。多くの古代文明では、特定の木や林苑全体が神々や精霊などの超自然的な存在のすみかとしてあがめられただけでなく、木はその周囲に宇宙全体が秩序づけられた宇宙軸と見られることも多かった。(中略…北欧神話の宇宙樹ユグドラシル・マヤの聖なるカポックの木等の例)
聖書に登場する木では、楽園にある禁断の実をつけた「知恵の木(善悪の知識の木)」がよく知られている。(中略)このような聖樹は、ほとんどの古代民族の間に見られたが、それは自然に生えた木の場合もあれば、宇宙的なシンボルとして理想化された木の場合もあった。
キリスト教の図像においては、木は神の御心にかなった人生のシンボルであり、年ごとに成長と衰退を繰り返すため、生と死と復活をあらわす。一方、実を結ばない木や枯れ木は罪人の象徴とされた。キリストの十字架は、後に楽園の「知恵の木」から作られたといわれるようになり、それ以来敬虔な人々にとっての「生命の木」となった。この「生命の木」は枝や葉をつけて描かれたり、「エッサイの根(木)」〔キリストの家系をダビデ王の父エッサイを根とする系統樹として象徴的に表現した図像〕に擬せられたりした。
樹木をめぐる象徴表現や樹木崇拝は古代の自然信仰の名残りをとどめている。自然信仰においては、木は木材を供給するだけの存在ではなく、魂をもつと考えられた。(中略)
特に聖母マリアは、精霊の祝福を受け、その果実としてこの世に救世主をもたらしたことから「生命の木」とみなされた。(中略)
西洋のキリスト教圏には、枯れた木や枝や杖が神の恩寵の証として緑の芽を吹くという伝説が広く流布している。中世の彫刻に見られる、芽を吹いた枝をもつ「樹の十字架」は、このような復活の象徴と結びつき、木が落ち葉と冬の静けさを経て新たに芽吹くことを思い起こさせる。
あるユダヤの伝説によると、族長アブラハムは行く先々で木を植えたが、どうしてもうまく育たなかった。ところがカナンの地に植えた1本だけは、みるみるうちに高く伸びた。そしてアブラハムはこの木によって、人が真の神を信じているか、偶像を崇拝しているかを知ることができた。その木は正しく信じる者の上には枝を広げて木陰をもたらしたが、偶像崇拝者には枝を高く伸ばすだけで木陰をつくろうとはしなかったのである。しかしそれでもアブラハムは偶像崇拝者を見捨てず、彼らが正しい信仰を受け入れるよう心を砕いた。「アダムは、知恵の木の実を食べたために世界に死をもたらした。しかしアブラハムがやって来て、別の木によって世界に再び救済をもたらしたのである」。(後略)
聖書に登場する木では、楽園にある禁断の実をつけた「知恵の木(善悪の知識の木)」がよく知られている。(中略)このような聖樹は、ほとんどの古代民族の間に見られたが、それは自然に生えた木の場合もあれば、宇宙的なシンボルとして理想化された木の場合もあった。
キリスト教の図像においては、木は神の御心にかなった人生のシンボルであり、年ごとに成長と衰退を繰り返すため、生と死と復活をあらわす。一方、実を結ばない木や枯れ木は罪人の象徴とされた。キリストの十字架は、後に楽園の「知恵の木」から作られたといわれるようになり、それ以来敬虔な人々にとっての「生命の木」となった。この「生命の木」は枝や葉をつけて描かれたり、「エッサイの根(木)」〔キリストの家系をダビデ王の父エッサイを根とする系統樹として象徴的に表現した図像〕に擬せられたりした。
樹木をめぐる象徴表現や樹木崇拝は古代の自然信仰の名残りをとどめている。自然信仰においては、木は木材を供給するだけの存在ではなく、魂をもつと考えられた。(中略)
特に聖母マリアは、精霊の祝福を受け、その果実としてこの世に救世主をもたらしたことから「生命の木」とみなされた。(中略)
西洋のキリスト教圏には、枯れた木や枝や杖が神の恩寵の証として緑の芽を吹くという伝説が広く流布している。中世の彫刻に見られる、芽を吹いた枝をもつ「樹の十字架」は、このような復活の象徴と結びつき、木が落ち葉と冬の静けさを経て新たに芽吹くことを思い起こさせる。
あるユダヤの伝説によると、族長アブラハムは行く先々で木を植えたが、どうしてもうまく育たなかった。ところがカナンの地に植えた1本だけは、みるみるうちに高く伸びた。そしてアブラハムはこの木によって、人が真の神を信じているか、偶像を崇拝しているかを知ることができた。その木は正しく信じる者の上には枝を広げて木陰をもたらしたが、偶像崇拝者には枝を高く伸ばすだけで木陰をつくろうとはしなかったのである。しかしそれでもアブラハムは偶像崇拝者を見捨てず、彼らが正しい信仰を受け入れるよう心を砕いた。「アダムは、知恵の木の実を食べたために世界に死をもたらした。しかしアブラハムがやって来て、別の木によって世界に再び救済をもたらしたのである」。(後略)
木は人間になぞらえられているのですね。上の記述中、
「キリスト教の図像においては、木は神の御心にかなった人生のシンボルであり、年ごとに成長と衰退を繰り返すため、生と死と復活をあらわす。」
という一文はそのまま《黒色》部分の解釈にあてはまります。また、
「西洋のキリスト教圏には、枯れた木や枝や杖が神の恩寵の証として緑の芽を吹くという伝説が広く流布している。中世の彫刻に見られる、芽を吹いた枝をもつ「樹の十字架」は、このような復活の象徴と結びつき、木が落ち葉と冬の静けさを経て新たに芽吹くことを思い起こさせる。」
という文節では、【棒】スートのワンドの描かれ方や、【12・吊された男】の十字架の木から緑の葉や芽が芽吹いていることを連想される方も多いでしょう。
上記引用を参考に【6・恋人たち】【3・女帝】のカードを見ると、やはり木の描かれ方に特徴があるのが分かります。
【6・恋人たち】では、女性の側にある木は幹も太く、実も生っています。しかし男性の側の木は幹が細く墨のように真っ黒で、葉も芽もなく、炎のような花のようなものだけが生っています。「実を結ばない木や枯れ木は罪人の象徴とされた」という上記の一文をふと連想します。女性の方は天を仰いでいますが、男性は女性の方を見ているのも意味深ですね。
【3・女帝】では、奥の林の木々に、緑と黒の二種類があるのが目に付きます。緑の木は幹が黄色で葉が緑、黒っぽく描かれている木は針葉樹なのか、高く伸びているのですが幹も葉も真っ黒です。これは見かけは木として描かれていますが、この女帝をとりまく「人々」を表しているとも解釈できそうです。神の御心に沿った恵み多い人もいれば、そうでない人もいる…しかし、黒い木として描かれた人であっても死と再生・成長を繰り返し、進化している途上なのだと言えるでしょう。
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ということで、今回は更新がまた月曜日にずれ込んでしまいましたが、《木》項目を引いて下調べといたしました。
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