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大阪の占い師 サワツ純子 のタロットブログです。たまに理屈っぽい日常のああだこうだも入っています。
長文OK・お暇な方のみお読み下さいませ。(・∀・)サワツ純子
※各ブログ記事へのインデックスを作ってみました。良ければご利用ください※
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今回はカードナンバー【11】、正義のカードです。
*-*-*-*-*-*-*
【11・正義(Justice)】
◆おおまかな意味:
公正さ、正当さ、釣り合っている、判断、裁判、法的なものごと ほか
*-*-*-*-*-*-*
真っ赤な法衣を着た女性が右手に剣、左手に天秤を持って座っています。
彼女は【2・女教皇】【5・法王】と同じように2本の柱を背にして正面を向いて座っています。相反する二つの力のバランスがここでも象徴されています。【2・女教皇】では『陰と陽』、【5・法王】では『聖なるものと世俗なもの』の均衡が表にあらわれていたとするなら、この正義のカードでは一体どういうことが言えるでしょうか。
彼女は裁判の女神です。彼女が右手に持っている剣は真っ直ぐ垂直に突き立っています。彼女の裁きは論理的な基準に沿って厳格になされるでしょう。
左手に持っている天秤が象徴するように、彼女の判断には曖昧なところがなく、ある基準に従って正確に量られます。その場その場で結果が変わったり調節されたりすることはありません。あくまで正確で明確です。
被告と原告、二人の立場や言い分の正当性を彼女は正確に量ります。そして断固とした態度で判決を下します。善いものは善く、悪いものは悪い…人の心は揺らぎやすいものですが、だからこそ彼女の厳密で明確な裁きは秩序をもたらし、正当さと公正さの確たる拠りどころと成り得るのです。
*-*-*-*-*-*-*
実占では不倫問題の時に圧倒的な確率で出現します(ヒタチの場合)。本来タロットリーディングでは『これが出た時はコレ』と安易に直截的な判断はすべきではないのですが、特に浮気や不倫に関して質問者の罪の意識が問題になっている時、このカードが出現しやすいです。
またつきあっている恋人同士の行く末として占った時には、結婚の意志が有る無しの目安として意味深く出現することが多くあります。この恋愛関係が『法的な正当性を持つか否か』という観点で理解することが可能だと思います。
また物事の状態や成り行き・人物その他を『評定し値踏みする』意識の表れとして読むこともあります。公正で正当な評価を下そうとする意識が働いていると理解します。雇用のための面接や、給与等の査定や、見積もりや調査など、広くこの概念を適用することが出来ます。いずれも『ある明確な基準』に沿って評定を下すという共通点があります。曖昧なイメージによる印象の良し悪しなどはあてはまりません。
好き嫌いといった思い込みや(棒に象徴される直観の基準)、便宜を図るなど利便的な振る舞い(金貨に象徴される実際的な基準)、情状酌量といった調整(聖杯に象徴される感情の基準)など、規則やルールを歪曲させたり逸脱させたりすることもこのカードの意味合いとは正反対のことです。彼女が持っているのは剣です。タロット小アルカナの4つのスート、この世界を構成している四大元素(棒-火・剣-風・聖杯-水・金貨-地)のうち、剣という思考・論理的機能の力でもって彼女は裁断するのです。そこには一切の曖昧さがありません。
*-*-*-*-*-*-*
公正さ・正当さが求められる機会に、偏見・差別・思い込みなどによって不当な評価を受ける・または公正でない言動をしてしまう、というようなとき…正義のカードは否定的に解釈されます。
逆位置などで出現したとき、本来あるべき規範が守られず歪められている状態を暗示します。不倫などは心情的に理解も出来るし、古今東西どこにでも普遍的にあることですが、法という明確な基準に照らし合わせた時には『悪である』と規定されます。
また何らかの問題について著しくバランスが崩れた状況を示す時なども正義の否定的な解釈として適用します。二つ以上の勢力・要素・条件などについて、いずれかに力が偏っている時、欠落がある時、不正がある時など、広く考えられます。
このカードはハッキリとした基準を元にしたバランスを取り扱うので、警告の意味合いが強い時には現実に目に見える形で結果が出ることも多いです。心理的な打撃というような目に見えないことではなく、実際に自分の評判を落としたり、何らかの処分を受けたり、実害を被ることにもなりがちです。
(わたし自身は以前、自分を占う際にこのカードの逆位置の頻出が2週間ほど続いたことがあります。漠然と『何か役所か警察などに行くことがあるのかな』と思っていましたら、仕事関係の大事な書類を自分の財布と共に落として紛失してしまいました。結果、やはり警察に…。自分のずさんな管理が原因でまったくもって面目がつぶれ、苦い思いをしました。今だにこのカードを見るとドキッとします。)
*-*-*-*-*-*-*
さて、前回【10・運命の輪】の記事の中でわたしは以下のように書きました。
“これ以降のカードはすべて、人間個人の力をはるかに超えた、大きな力の作用として現われてきます。それは宇宙の法則と言っても良いでしょう。人間がより良く、創造的な生を生きるために出会うべき宇宙の力…その振る舞いを学び、その力に寄り添うことが今後の課題となってきます。”
上記に述べたような観点から解釈すると、人間個人の力を超えた世界にもいわゆる『正義』『善悪』『報い』というような力が存在し、人間に大きな影響を及ぼしていると考えることができるでしょう。
例えば、社会にまったく知られず重罪を犯した人物が死ぬまで断罪を受けずに済んだとしても、報いは必ず何かしらの形でその者に起こっているであろうと、人は自然に想像するものです。
他者の人格を踏み潰し、破壊し、その命を残虐な方法で奪ったような人物がもしその罪の露見を免れたとしたら…その報いは何らかの形をとってその者の存在・魂・血の上にもたらされるでしょう。その『報い』の筋書きは、人間の自然な心が自然に思い描くストーリーなのです。
何か行きすぎた物事や出来事があればその反動がどこかに表れる、という宇宙や自然の現象…『失われたバランスは取り戻される』という『正当さ・報い』の力が、この宇宙に普遍的に働いていることを人間の魂は本能的に知っています。そして『正義が行われる』ことはそのまま『宇宙のバランスの法則が行使される』ことであり、それを真摯に求めてもいるのです。
わたしたちは別に高等な教育を受けていなくても、正義が踏みにじられた時には怒りを感じます。未開な原始的な生活を営んでいた大昔にも、自分の食べ物や、愛情を持っている縁者の命を暴力的に奪われた時には、燃え上がるような怒りと不当感を感じたに違いありません。そこにはもちろん自分の利益を奪われた・欲望を阻害された怒りもあるでしょうがそれだけではなく、これは何かが間違っている・もっとあるべき形があるはずだ、という直観があったに違いありません。その直観こそが猿を人間に進化させた霊的要素なのだと言えると思います。
もしこの『あるべき正義を求める直観』というものが無かったら、人間は何の悲しみも怒りも持たない代わり、希望も理想も抱くことのない、ただの生きもの、にしかならなかったでしょう。
野生の弱い生き物が肉食の捕食者にただ諦念を持って食われるように、より残虐さを行使する者に無感動に降伏しつづける社会が主流となっていたでしょう。
『失われたバランスを取り戻そうと働く宇宙の力』が『正義』の成り立ちの根源であり、『公正さ・正当さ』を求める心というのは宇宙の一部である人間の霊的な本能から来るものなのだ、とわたしは思っています。
*-*-*-*-*-*-*
わたしたちの生活におけるどんな正義も、やはり失われたバランスを取り戻す自然の力の表れであると言って良いのではないでしょうか。そして法的な秩序によって成り立った社会で生きていくには、論理的で明確な基準が必要であり、その基準に沿って生きることは共同生活での一員として欠くことのできない重要な要素でしょう。
しかし人間は思索的・論理的な要素のみで生きているわけではありません。むしろ心の要素・直感的な要素の方が本能に深く根ざしていますし、物質に頼って生命を維持している以上、理屈だけでは生きていけません。
それでも人間が、自分たちの世界の成り立ちの秩序を『弱肉強食』ではなく『正義』に置いているのは、それだけ人間が他の動物に先んじて霊的に発展していることの証と言っても良いでしょう(無論、この先遠くに他の霊長類に追い抜かされる可能性も無いとは言えませんね)。わたしたちは霊的に長じた“人間”である限り『弱肉強食』ではなく『正義』というスピリットを選び、それを捨てることはないのです。
*-*-*-*-*-*-*
このカードは
を表していると思います。
コメントはBBSへどうぞ
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【11・正義(Justice)】
◆おおまかな意味:
公正さ、正当さ、釣り合っている、判断、裁判、法的なものごと ほか
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真っ赤な法衣を着た女性が右手に剣、左手に天秤を持って座っています。
彼女は【2・女教皇】【5・法王】と同じように2本の柱を背にして正面を向いて座っています。相反する二つの力のバランスがここでも象徴されています。【2・女教皇】では『陰と陽』、【5・法王】では『聖なるものと世俗なもの』の均衡が表にあらわれていたとするなら、この正義のカードでは一体どういうことが言えるでしょうか。
彼女は裁判の女神です。彼女が右手に持っている剣は真っ直ぐ垂直に突き立っています。彼女の裁きは論理的な基準に沿って厳格になされるでしょう。
左手に持っている天秤が象徴するように、彼女の判断には曖昧なところがなく、ある基準に従って正確に量られます。その場その場で結果が変わったり調節されたりすることはありません。あくまで正確で明確です。
被告と原告、二人の立場や言い分の正当性を彼女は正確に量ります。そして断固とした態度で判決を下します。善いものは善く、悪いものは悪い…人の心は揺らぎやすいものですが、だからこそ彼女の厳密で明確な裁きは秩序をもたらし、正当さと公正さの確たる拠りどころと成り得るのです。
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実占では不倫問題の時に圧倒的な確率で出現します(ヒタチの場合)。本来タロットリーディングでは『これが出た時はコレ』と安易に直截的な判断はすべきではないのですが、特に浮気や不倫に関して質問者の罪の意識が問題になっている時、このカードが出現しやすいです。
またつきあっている恋人同士の行く末として占った時には、結婚の意志が有る無しの目安として意味深く出現することが多くあります。この恋愛関係が『法的な正当性を持つか否か』という観点で理解することが可能だと思います。
また物事の状態や成り行き・人物その他を『評定し値踏みする』意識の表れとして読むこともあります。公正で正当な評価を下そうとする意識が働いていると理解します。雇用のための面接や、給与等の査定や、見積もりや調査など、広くこの概念を適用することが出来ます。いずれも『ある明確な基準』に沿って評定を下すという共通点があります。曖昧なイメージによる印象の良し悪しなどはあてはまりません。
好き嫌いといった思い込みや(棒に象徴される直観の基準)、便宜を図るなど利便的な振る舞い(金貨に象徴される実際的な基準)、情状酌量といった調整(聖杯に象徴される感情の基準)など、規則やルールを歪曲させたり逸脱させたりすることもこのカードの意味合いとは正反対のことです。彼女が持っているのは剣です。タロット小アルカナの4つのスート、この世界を構成している四大元素(棒-火・剣-風・聖杯-水・金貨-地)のうち、剣という思考・論理的機能の力でもって彼女は裁断するのです。そこには一切の曖昧さがありません。
*-*-*-*-*-*-*
公正さ・正当さが求められる機会に、偏見・差別・思い込みなどによって不当な評価を受ける・または公正でない言動をしてしまう、というようなとき…正義のカードは否定的に解釈されます。
逆位置などで出現したとき、本来あるべき規範が守られず歪められている状態を暗示します。不倫などは心情的に理解も出来るし、古今東西どこにでも普遍的にあることですが、法という明確な基準に照らし合わせた時には『悪である』と規定されます。
また何らかの問題について著しくバランスが崩れた状況を示す時なども正義の否定的な解釈として適用します。二つ以上の勢力・要素・条件などについて、いずれかに力が偏っている時、欠落がある時、不正がある時など、広く考えられます。
このカードはハッキリとした基準を元にしたバランスを取り扱うので、警告の意味合いが強い時には現実に目に見える形で結果が出ることも多いです。心理的な打撃というような目に見えないことではなく、実際に自分の評判を落としたり、何らかの処分を受けたり、実害を被ることにもなりがちです。
(わたし自身は以前、自分を占う際にこのカードの逆位置の頻出が2週間ほど続いたことがあります。漠然と『何か役所か警察などに行くことがあるのかな』と思っていましたら、仕事関係の大事な書類を自分の財布と共に落として紛失してしまいました。結果、やはり警察に…。自分のずさんな管理が原因でまったくもって面目がつぶれ、苦い思いをしました。今だにこのカードを見るとドキッとします。)
*-*-*-*-*-*-*
さて、前回【10・運命の輪】の記事の中でわたしは以下のように書きました。
“これ以降のカードはすべて、人間個人の力をはるかに超えた、大きな力の作用として現われてきます。それは宇宙の法則と言っても良いでしょう。人間がより良く、創造的な生を生きるために出会うべき宇宙の力…その振る舞いを学び、その力に寄り添うことが今後の課題となってきます。”
上記に述べたような観点から解釈すると、人間個人の力を超えた世界にもいわゆる『正義』『善悪』『報い』というような力が存在し、人間に大きな影響を及ぼしていると考えることができるでしょう。
例えば、社会にまったく知られず重罪を犯した人物が死ぬまで断罪を受けずに済んだとしても、報いは必ず何かしらの形でその者に起こっているであろうと、人は自然に想像するものです。
他者の人格を踏み潰し、破壊し、その命を残虐な方法で奪ったような人物がもしその罪の露見を免れたとしたら…その報いは何らかの形をとってその者の存在・魂・血の上にもたらされるでしょう。その『報い』の筋書きは、人間の自然な心が自然に思い描くストーリーなのです。
何か行きすぎた物事や出来事があればその反動がどこかに表れる、という宇宙や自然の現象…『失われたバランスは取り戻される』という『正当さ・報い』の力が、この宇宙に普遍的に働いていることを人間の魂は本能的に知っています。そして『正義が行われる』ことはそのまま『宇宙のバランスの法則が行使される』ことであり、それを真摯に求めてもいるのです。
わたしたちは別に高等な教育を受けていなくても、正義が踏みにじられた時には怒りを感じます。未開な原始的な生活を営んでいた大昔にも、自分の食べ物や、愛情を持っている縁者の命を暴力的に奪われた時には、燃え上がるような怒りと不当感を感じたに違いありません。そこにはもちろん自分の利益を奪われた・欲望を阻害された怒りもあるでしょうがそれだけではなく、これは何かが間違っている・もっとあるべき形があるはずだ、という直観があったに違いありません。その直観こそが猿を人間に進化させた霊的要素なのだと言えると思います。
もしこの『あるべき正義を求める直観』というものが無かったら、人間は何の悲しみも怒りも持たない代わり、希望も理想も抱くことのない、ただの生きもの、にしかならなかったでしょう。
野生の弱い生き物が肉食の捕食者にただ諦念を持って食われるように、より残虐さを行使する者に無感動に降伏しつづける社会が主流となっていたでしょう。
『失われたバランスを取り戻そうと働く宇宙の力』が『正義』の成り立ちの根源であり、『公正さ・正当さ』を求める心というのは宇宙の一部である人間の霊的な本能から来るものなのだ、とわたしは思っています。
*-*-*-*-*-*-*
わたしたちの生活におけるどんな正義も、やはり失われたバランスを取り戻す自然の力の表れであると言って良いのではないでしょうか。そして法的な秩序によって成り立った社会で生きていくには、論理的で明確な基準が必要であり、その基準に沿って生きることは共同生活での一員として欠くことのできない重要な要素でしょう。
しかし人間は思索的・論理的な要素のみで生きているわけではありません。むしろ心の要素・直感的な要素の方が本能に深く根ざしていますし、物質に頼って生命を維持している以上、理屈だけでは生きていけません。
それでも人間が、自分たちの世界の成り立ちの秩序を『弱肉強食』ではなく『正義』に置いているのは、それだけ人間が他の動物に先んじて霊的に発展していることの証と言っても良いでしょう(無論、この先遠くに他の霊長類に追い抜かされる可能性も無いとは言えませんね)。わたしたちは霊的に長じた“人間”である限り『弱肉強食』ではなく『正義』というスピリットを選び、それを捨てることはないのです。
*-*-*-*-*-*-*
このカードは
失われたバランスを取り戻そうとする普遍的な力、人の社会と理想を支える秩序
を表していると思います。
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