最新記事
【雑談】上京準備の日々
(09/23)
【雑談】自分の得意な尺度を自由に採用するのがいいですね
(09/11)
【雑談】抽象的なお話(?)
(09/02)
【雑記】ブログ更新をお休みしました&東京出張について
(08/21)
カテゴリー
アーカイブ
カレンダー
12 | 2025/01 | 02 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
最新コメント
[02/27 グリーン]
[02/26 ヒタチ]
[02/20 グリーン]
[10/24 グリーン]
[10/23 ヒタチ]
最新トラックバック
ブログ内検索
P R
アクセス解析
大阪の占い師 サワツ純子 のタロットブログです。たまに理屈っぽい日常のああだこうだも入っています。
長文OK・お暇な方のみお読み下さいませ。(・∀・)サワツ純子
※各ブログ記事へのインデックスを作ってみました。良ければご利用ください※
【宣伝】
興味のある方はどうぞお越しくださいませ。
長文OK・お暇な方のみお読み下さいませ。(・∀・)サワツ純子
※各ブログ記事へのインデックスを作ってみました。良ければご利用ください※
【宣伝】
興味のある方はどうぞお越しくださいませ。
今回はカードナンバー【12】、吊された男のカードです。
*-*-*-*-*-*-*
【12・吊された男(The Hanged Man)】
◆おおまかな意味:
忍耐、試練、奉仕、身動きが取れない、葛藤、修行、犠牲になる ほか
*-*-*-*-*-*-*
青い衣服と赤いタイツを身に付けた若者が、木に逆さまに吊るされています。
彼は片足を木にくくりつけられ、もう片足を曲げた妙な態勢をとっています。両腕も後ろでくくりつけられているのでしょうか。一度見たら忘れられない印象的な絵柄のカードです。
他にも印象的な部分があります。
逆さまになってさぞ苦しいであろう彼の頭は金色に後光が射しています。表情は穏やかで涼しげでもあり、とても逆さまに吊るされている人の顔には見えません。
恐らく彼は自ら進んで自分の身を捧げたのでしょう。きっと彼はその代償に、普通では得がたい、尊い何かを得ることとなるに違いありません。
彼が吊るされている木の枝には緑の葉が茂っています。彼の犠牲的な行為には創造と繁栄の恵みが伴っているのです。足をくくりつけている結び目は∞(無限大)の形になっています。この奉仕と恵みのサイクルは無限に繰り返されるのでしょう。奇妙に見える行為ですが、これもひとつの普遍的な創造の形なのです。
*-*-*-*-*-*-*
実占で見られる状況では、とてもこの若者のように涼しい顔をしていられないことがほとんどです。居心地悪く、どうにも苦しく、できれば一刻も早くこの状態から抜け出したいけれど手も足も出ない…この絵柄のように。あるがままの状況にただ身を任せるしか道はありません。
この状態からいつ解放されるのかの見通しも立たず、最終的に苦しさが報われるかどうかの保証はありません。結果的に苦しみ損、ということも大いにあり得ます。
若者の衣服は青、タイツは赤。青は明晰な理性を表わし、赤は情熱や興奮・怒りなども表わします。青と赤は言うなれば正反対の要素で、それを一人の人間が身に纏って逆さに吊るされている。これは大いなる葛藤です。カードのど真ん中にひとつの大きな葛藤が描かれ、それがテーマになっています。
ただ…彼の葛藤を巡る状況はどうでしょう。頭の金色の後光といい、彼を吊るしている木の緑の芽生えといい…彼の苦しみは決して全くの不毛ではないことを示唆しています。彼は聖なる輝きと至高の悟りを得、彼の周囲は恵みを得るのです。
つまりこの試練の時を『報いのない不毛な犠牲』とするのか、反対に『価値ある奉仕』とするのかは彼の心ひとつにあります。
この状況から逃れようともがき・あがけば、足をくくりつけている紐はきつく締まり、からまり、身体は疲れ傷つき、心もボロボロになるでしょう。反対にこの状況を全面的に受け入れ、自分の全てを明け渡せば、少なくとも魂の苦しみはすぐにでも取り除かれ、あとには尊い学びと恵みがもたらされるのです。
自分の身をなげうって他者へ奉仕するのか、哀れな犠牲者として苦しみながら過ごすのか…その選択が心の救済を大きく左右するカードです。
*-*-*-*-*-*-*
理屈では解っていても実際にはそう簡単に納得出来ない、というのがこのカードの状況に置かれた人の心です。特に実占で逆位置に出たり否定的な解釈となるパターンにおいては、現実的にどうしようもない障害が横たわっているというよりは本人の考え方が問題そのものである場合が多々あります。自分の価値観や悲観的な妄想に固執しているがために苦しい状況から抜け出せないのですが、そのような場合はたいてい、どのように説明しても納得いただけないことが多いです。ご本人の受けている精神的な痛みは痛みとして事実なのだから、仕方ないとも言えますが…
それに反して、例えば実際に本人の能力をはるかに超えた重荷を背負ってしまい、逃げ出せない状況にあるような方は概してあきらめが良い印象があります。吊された男のカードの本来の解釈通り、自分から進んでその重荷を背負っているケースも多く見られます。納得づくか、それとも不本意な気持ちでいるかで苦しみの強さ大きさがかなり変わって来るようです。
ところで、この若者の足の形は『水』を表わす記号『▽』の形を取っているといわれています。このカードは西洋占星術の双魚宮と対応させられており、双魚宮は水の星座です。魚座の性質は他者への優しさ、奉仕精神などがあてはまります。魚座生まれの人は時として自分をすっかり忘れてしまうほどの非常な献身を行うことがありますが、このカードの意味合いとぴったり符号しますね。
*-*-*-*-*-*-*
比較的有名な話として、このカードは北欧神話の神『オーディン』がモデルになっているという説があります。『オーディン』はルーン文字の解読法を知るために自らの身を捧げたという、魔術に堪能な神です。この『ルーン文字』がタロットと同じように象徴的な意味を持ち、占いや宣託に使われているのを知っている方は多いでしょう。
北欧の古詩『エッダ』「高きものの言葉」より
わたしは知っている、
わたしが、九日九夜にわたって
風吹きすさぶ樹に吊り下がり
槍に傷つき、わたし自身が
パンも角杯も恵まれぬまま
わたしは下を伺った
オーディン、つまりわたし自身は
わたしをいけにえとして
それがいかなる根から発しているか知る人もない樹に
吊り下がっていたことを
わたしはルーンをつかみあげた、
うめきつつつかみ、それから大地に投げた
汝見出すだろう、ルーンを
そして解かれるルーン棒を、
実に大きなルーン棒を、
実に堅い棒を
それから大賢人(=オーディン)が色を塗り
大いなる諸神がつくって
神々の中の神が彫ったもの
『神聖ルーン・タロット占術』鏡リュウジ著・出版社: 学習研究社 (2000/02) より抜粋
(漢字・ひらがな・句読点など読みやすいように少し調整しています)
北欧の厳しい寒さの中で暮らす知恵を掴むため、大賢人が自らをいけにえとして9日9夜、槍に貫かれながら木から吊り下がる…どうでしょう、吊された男のイメージにぴったりですよね。
わたしはこの詩を読んだ時、吊された男の『犠牲』『奉仕』のスピリットのあり方はこれなのだな…と思い至りました。何かを掴む・何かを得る、という積極的な意志を持てば、状況に自分を完全に明け渡すことができる…それが高みに到達するための強さと力に繋がるのだ、と思いました。
*-*-*-*-*-*-*
さて、少々残酷に思えるかも知れないことを書こうと思います。
このあたり、タロットは
【10・運命の輪】
【11・正義】
【12・吊された男】
【13・死神】…と続いています。
わたしはごくシンプルに考えて、このカードの並びを以下のように解釈しています。
****
【10・運命の輪】が巡り、否応なく宿命的な変化に遭遇した彼は裁かれる立場(【11・正義】)となった。その結果彼は断罪され、罪人とされたが、心の信ずるままに生きてきた彼は悪びれず
『これも我が人生である。ここで自分が助かって生きながらえても、他の者が代わりにこの木に吊られて死ぬだけだろう。それならば我こそがその生贄となろう』
と決心した。
かくして彼は木に吊られ(【12・吊された男】)、やがて死に至った(【13・死神】)。彼が自ら犠牲となったおかげで他の者は死なずに済んだ。彼の痛ましい死によって生き残った者たちは教訓を得、それを後世に広め発展させる(木の緑・芽吹き)こととなった。。
****
わたしは、ここでやはり彼は死ぬ運命になるのだと思います。彼の頭の金色の後光は彼が神に召されることを示していると思います。彼が苦しい顔をしていないのは、生き残ることなど考えず死ぬ準備が出来ているから。しかしこの非情な運命と状況に対して怒りと理性との葛藤を抱え、それを体現してもいます。
古代から、神に何かを願い手に入れたいと思うとき、人は生贄を捧げました。生贄を捧げることで神との契約が成立し、そのおかげで人々は欲しいもの…食べ物や雨や安全や勝利や色々なもの…を受け取ることが出来たのです。
その法則はある意味、今の世界にも生きているのではないでしょうか。今はまさか生贄を捧げるなどということはありません。しかし社会全体を見渡してみたとき、どうでしょう。例えば職場で、誰もがやりたがらない困難な仕事を成し遂げねばならぬ時…それは結局誰かがやることになりますね?あなたが幸運にもそれをやらずに済んだとき、あなたはどのように感じるでしょうか。それをやることになってしまった運が悪い人のことを、どのように感じますか?
もしあなたが運悪く、その厳しい仕事を引き受けねばならず、逃げることも出来ない時…そしてその仕事が本当に厳しくつらく、永遠に続くようにも感じるとき…その時こそ、このカードのスピリットを理解する時です。
仕事の現場だけでなく、人生に起こりうる全ての場面において『厳しい状況』を『誰かが』引き受けねばならないことは意外と多くあります。誰もがみんな平等にしあわせ、という状況は現実にはちょっと、考えられません。現実では常に『誰かが貧乏くじを引かねばならない』状況が起こり続けており、それは古今東西、どの時代のどの国のどんな社会でも同じ、普遍的なことなのです。
例えば何気ない雑草や潅木でも、日当たりのいい場所に根を下ろせるかどうかで生きるものと死ぬものとが出てきます。虫や動物もそうです。人間だってそうです…想像してみればお分かりになることでしょう。
それらはみな“尊い犠牲”と言えるのではないでしょうか。生死のような極端なことだけでなく、普段のさまざまな事柄において『誰かが我慢してくれるから、他のみんなが助かる』法則は、どこにでも、いつでも見られることではないでしょうか。
吊された男のカードが示す『犠牲』『奉仕』とは、このような『無私の捧げものと恵み』の普遍的な法則を含んでいるのだと思います。
*-*-*-*-*-*-*
このカードは
を表していると思います。
コメントはBBSへどうぞ
*-*-*-*-*-*-*
【12・吊された男(The Hanged Man)】
◆おおまかな意味:
忍耐、試練、奉仕、身動きが取れない、葛藤、修行、犠牲になる ほか
*-*-*-*-*-*-*
青い衣服と赤いタイツを身に付けた若者が、木に逆さまに吊るされています。
彼は片足を木にくくりつけられ、もう片足を曲げた妙な態勢をとっています。両腕も後ろでくくりつけられているのでしょうか。一度見たら忘れられない印象的な絵柄のカードです。
他にも印象的な部分があります。
逆さまになってさぞ苦しいであろう彼の頭は金色に後光が射しています。表情は穏やかで涼しげでもあり、とても逆さまに吊るされている人の顔には見えません。
恐らく彼は自ら進んで自分の身を捧げたのでしょう。きっと彼はその代償に、普通では得がたい、尊い何かを得ることとなるに違いありません。
彼が吊るされている木の枝には緑の葉が茂っています。彼の犠牲的な行為には創造と繁栄の恵みが伴っているのです。足をくくりつけている結び目は∞(無限大)の形になっています。この奉仕と恵みのサイクルは無限に繰り返されるのでしょう。奇妙に見える行為ですが、これもひとつの普遍的な創造の形なのです。
*-*-*-*-*-*-*
実占で見られる状況では、とてもこの若者のように涼しい顔をしていられないことがほとんどです。居心地悪く、どうにも苦しく、できれば一刻も早くこの状態から抜け出したいけれど手も足も出ない…この絵柄のように。あるがままの状況にただ身を任せるしか道はありません。
この状態からいつ解放されるのかの見通しも立たず、最終的に苦しさが報われるかどうかの保証はありません。結果的に苦しみ損、ということも大いにあり得ます。
若者の衣服は青、タイツは赤。青は明晰な理性を表わし、赤は情熱や興奮・怒りなども表わします。青と赤は言うなれば正反対の要素で、それを一人の人間が身に纏って逆さに吊るされている。これは大いなる葛藤です。カードのど真ん中にひとつの大きな葛藤が描かれ、それがテーマになっています。
ただ…彼の葛藤を巡る状況はどうでしょう。頭の金色の後光といい、彼を吊るしている木の緑の芽生えといい…彼の苦しみは決して全くの不毛ではないことを示唆しています。彼は聖なる輝きと至高の悟りを得、彼の周囲は恵みを得るのです。
つまりこの試練の時を『報いのない不毛な犠牲』とするのか、反対に『価値ある奉仕』とするのかは彼の心ひとつにあります。
この状況から逃れようともがき・あがけば、足をくくりつけている紐はきつく締まり、からまり、身体は疲れ傷つき、心もボロボロになるでしょう。反対にこの状況を全面的に受け入れ、自分の全てを明け渡せば、少なくとも魂の苦しみはすぐにでも取り除かれ、あとには尊い学びと恵みがもたらされるのです。
自分の身をなげうって他者へ奉仕するのか、哀れな犠牲者として苦しみながら過ごすのか…その選択が心の救済を大きく左右するカードです。
*-*-*-*-*-*-*
理屈では解っていても実際にはそう簡単に納得出来ない、というのがこのカードの状況に置かれた人の心です。特に実占で逆位置に出たり否定的な解釈となるパターンにおいては、現実的にどうしようもない障害が横たわっているというよりは本人の考え方が問題そのものである場合が多々あります。自分の価値観や悲観的な妄想に固執しているがために苦しい状況から抜け出せないのですが、そのような場合はたいてい、どのように説明しても納得いただけないことが多いです。ご本人の受けている精神的な痛みは痛みとして事実なのだから、仕方ないとも言えますが…
それに反して、例えば実際に本人の能力をはるかに超えた重荷を背負ってしまい、逃げ出せない状況にあるような方は概してあきらめが良い印象があります。吊された男のカードの本来の解釈通り、自分から進んでその重荷を背負っているケースも多く見られます。納得づくか、それとも不本意な気持ちでいるかで苦しみの強さ大きさがかなり変わって来るようです。
ところで、この若者の足の形は『水』を表わす記号『▽』の形を取っているといわれています。このカードは西洋占星術の双魚宮と対応させられており、双魚宮は水の星座です。魚座の性質は他者への優しさ、奉仕精神などがあてはまります。魚座生まれの人は時として自分をすっかり忘れてしまうほどの非常な献身を行うことがありますが、このカードの意味合いとぴったり符号しますね。
*-*-*-*-*-*-*
比較的有名な話として、このカードは北欧神話の神『オーディン』がモデルになっているという説があります。『オーディン』はルーン文字の解読法を知るために自らの身を捧げたという、魔術に堪能な神です。この『ルーン文字』がタロットと同じように象徴的な意味を持ち、占いや宣託に使われているのを知っている方は多いでしょう。
北欧の古詩『エッダ』「高きものの言葉」より
わたしは知っている、
わたしが、九日九夜にわたって
風吹きすさぶ樹に吊り下がり
槍に傷つき、わたし自身が
パンも角杯も恵まれぬまま
わたしは下を伺った
オーディン、つまりわたし自身は
わたしをいけにえとして
それがいかなる根から発しているか知る人もない樹に
吊り下がっていたことを
わたしはルーンをつかみあげた、
うめきつつつかみ、それから大地に投げた
汝見出すだろう、ルーンを
そして解かれるルーン棒を、
実に大きなルーン棒を、
実に堅い棒を
それから大賢人(=オーディン)が色を塗り
大いなる諸神がつくって
神々の中の神が彫ったもの
『神聖ルーン・タロット占術』鏡リュウジ著・出版社: 学習研究社 (2000/02) より抜粋
(漢字・ひらがな・句読点など読みやすいように少し調整しています)
北欧の厳しい寒さの中で暮らす知恵を掴むため、大賢人が自らをいけにえとして9日9夜、槍に貫かれながら木から吊り下がる…どうでしょう、吊された男のイメージにぴったりですよね。
わたしはこの詩を読んだ時、吊された男の『犠牲』『奉仕』のスピリットのあり方はこれなのだな…と思い至りました。何かを掴む・何かを得る、という積極的な意志を持てば、状況に自分を完全に明け渡すことができる…それが高みに到達するための強さと力に繋がるのだ、と思いました。
*-*-*-*-*-*-*
さて、少々残酷に思えるかも知れないことを書こうと思います。
このあたり、タロットは
【10・運命の輪】
【11・正義】
【12・吊された男】
【13・死神】…と続いています。
わたしはごくシンプルに考えて、このカードの並びを以下のように解釈しています。
****
【10・運命の輪】が巡り、否応なく宿命的な変化に遭遇した彼は裁かれる立場(【11・正義】)となった。その結果彼は断罪され、罪人とされたが、心の信ずるままに生きてきた彼は悪びれず
『これも我が人生である。ここで自分が助かって生きながらえても、他の者が代わりにこの木に吊られて死ぬだけだろう。それならば我こそがその生贄となろう』
と決心した。
かくして彼は木に吊られ(【12・吊された男】)、やがて死に至った(【13・死神】)。彼が自ら犠牲となったおかげで他の者は死なずに済んだ。彼の痛ましい死によって生き残った者たちは教訓を得、それを後世に広め発展させる(木の緑・芽吹き)こととなった。。
****
わたしは、ここでやはり彼は死ぬ運命になるのだと思います。彼の頭の金色の後光は彼が神に召されることを示していると思います。彼が苦しい顔をしていないのは、生き残ることなど考えず死ぬ準備が出来ているから。しかしこの非情な運命と状況に対して怒りと理性との葛藤を抱え、それを体現してもいます。
古代から、神に何かを願い手に入れたいと思うとき、人は生贄を捧げました。生贄を捧げることで神との契約が成立し、そのおかげで人々は欲しいもの…食べ物や雨や安全や勝利や色々なもの…を受け取ることが出来たのです。
その法則はある意味、今の世界にも生きているのではないでしょうか。今はまさか生贄を捧げるなどということはありません。しかし社会全体を見渡してみたとき、どうでしょう。例えば職場で、誰もがやりたがらない困難な仕事を成し遂げねばならぬ時…それは結局誰かがやることになりますね?あなたが幸運にもそれをやらずに済んだとき、あなたはどのように感じるでしょうか。それをやることになってしまった運が悪い人のことを、どのように感じますか?
もしあなたが運悪く、その厳しい仕事を引き受けねばならず、逃げることも出来ない時…そしてその仕事が本当に厳しくつらく、永遠に続くようにも感じるとき…その時こそ、このカードのスピリットを理解する時です。
仕事の現場だけでなく、人生に起こりうる全ての場面において『厳しい状況』を『誰かが』引き受けねばならないことは意外と多くあります。誰もがみんな平等にしあわせ、という状況は現実にはちょっと、考えられません。現実では常に『誰かが貧乏くじを引かねばならない』状況が起こり続けており、それは古今東西、どの時代のどの国のどんな社会でも同じ、普遍的なことなのです。
例えば何気ない雑草や潅木でも、日当たりのいい場所に根を下ろせるかどうかで生きるものと死ぬものとが出てきます。虫や動物もそうです。人間だってそうです…想像してみればお分かりになることでしょう。
それらはみな“尊い犠牲”と言えるのではないでしょうか。生死のような極端なことだけでなく、普段のさまざまな事柄において『誰かが我慢してくれるから、他のみんなが助かる』法則は、どこにでも、いつでも見られることではないでしょうか。
吊された男のカードが示す『犠牲』『奉仕』とは、このような『無私の捧げものと恵み』の普遍的な法則を含んでいるのだと思います。
*-*-*-*-*-*-*
このカードは
厳しい状況に自分を明け渡す尊い精神と、その恵み
を表していると思います。
コメントはBBSへどうぞ
PR
Comment
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。
管理人のみ閲覧可
管理人のみ閲覧可